楽園 4
三人のチンピラが川中を取り囲んでいた。チンピラといっても、二人はまだ子供だ。
川中に因縁をつけている様だったが、話の内容には興味を引かれなかった。
むしろ取り囲まれながらも相手を圧倒する殺気を放つ川中から目が放せなかった。日
頃はその激しさを身に隠しているのだろう。唯、不躾なまでに真っ直ぐな視線から時
折それを感じていた。その熱に当てられていたのだと今やっと気がついた。
この男は人を殺めたことがあるのだろう。そしてそれは、あの行き場のない翳とも関
係しているに違いなかった。
今の川中には、蚊帳の外から渦中へと引きずりこまれることへの、どうしようもない
までの怒りがその源にあった。そこから生まれるどうしようもないまでの殺気だっ
た。
チンピラはその殺気を感じ取ることもできないのか、いきがるように怒声を放つと、
その表情を歪ませた。
川中はまったく動じる様子がない。器があまりに違い過ぎるとしか言い様がなかっ
た。
「お釣をお忘れですよ、川中さん」
私はチンピラと川中の間に割って入った。川中がチンピラに負けるとは露ほども思わ
ない。ただ、川中の殺気から察すると、血を見ずに終わることは有り得そうもなかっ
た。この男の手を他人の血で汚したくない。突然、訳もなくそう思っただけだ。
「引っ込んでろ、バーテン」
叫んだチンピラは、私の顔を見るとその顔色を変えた。
なるほど、廻状はすでに回っているのか。チンピラが廻状を見たかどうかは賭けだっ
たが、どうやら私は賭けに負けたようだ。これからは幾人もの刺客がやってくるだろ
う。これからの身におこる煩わしさを思ったが、後悔はなかった。人生には優先順位
がある。私にとって、今、間に割って入ることは、これからの身の安全よりも重要
だっただけのことだ。理屈ではない。いつも理屈抜きで動き、そして後悔したことは
なかった。
私と対峙したチンピラは怯えていた。それは決して廻状故のものではないだろう。
過去の積み重ねられた経験から、どうすれば人を威圧できるかは十分に心得ていた。
相手の程度に合わせるのは容易いことだった。
「あんたの弟を捜してんのは、俺たちだけじゃねえんだからな」
チンピラが怯えたように吠えた。言葉の意味することに興味は湧かなかった。唯、そ
の言い草がひどく癇に触った。
私が一歩踏み出すと、チンピラが跳び退る。二歩目を出す前に川中に腕をつかまれた。
川中の目を見ると先ほどの熱を帯びた殺気は消え、いつものような余裕が窺いしれ
た。あの激情はほんの一瞬駆け抜けていく、突風のようなものなのかもしれない。そ
してそれが「時」と合致した時、形を持って現れるに違いなかった。
もはやこの場ではこの男の血が流れることはないだろう。私は一歩引くと、川中に傘
を差しかけたまま、黙って事が終わるのを待った。平静であるならば仕事柄、チンピ
ラを扱うのは慣れているのだろう、川中はチンピラに金をやり、必要な情報を得る
と、去っていくチンピラには興味がなくなったというようにこちらを向いた。
「なぜすぐに金を出さなかったのか、と言いたいんだろう」
巻き込んだことを悪かったとでも思っているのだろうか、言い訳のように川中は言っ
た。いや、その言葉はむしろ殺気を放っていた自身を隠したがっているようにも思わ
せる。私は視線を合わせることなく、去っていく車へと目をやった。
「お濡れになるといけない、と思っただけですよ」
何事もなかったかのように返答する。殺気を覆い隠そうとするのはお互い様だ。私自
身、先ほどの言動について触れられたくはなかったし、チンピラが去った以上、もは
や揉め事に首を突っ込むつもりはなかった。私が求めたのは、この場での、この男の
安全だけだった。
しかし、川中は自身については棚に上げたかのように、真っ直ぐと私を見た。
「あいつは君を怕がっていたな」
どこまでも単刀直入な男だ。そしてそれが決して不快ではない。だが、この男の言葉
に付き合うつもりはなかった。
「まさか。なぜです?」
「なぜだろうな。俺も怕かったよ」
不思議そうにこちらを見る。その目が何者かと問うていた。
「雨がひどくなってきた。車に乗られた方がいいんじゃありませんか」
「ただのバーテンとは思えんな。何者だ、君は?」
「流しのバーテンですよ、あなたに腕を買い被られている」
本当に、思ったままを口に出す男だ。私は思わず苦笑すると、やんわりとその問いを
かわした。
この男に素性を知られたくなかった。川中が巻き込まれているであろう揉め事に関わ
る気がない以上に、私自身の揉め事に、この男を関わらせる気はなかった。街外れに
あるスナックのバーテンとその客。その関係を壊したくなかった。結局、私はもう少
し、この男と関わっていたいのだ。浮世からは離れたつもりだったが、そう簡単なも
のではないらしい。私は妙にやり切れない気持ちになったが、それすらも何処か心地
好かった。
眼前に立つ、その不思議な吸引力と多面性を持つ男は、これ以上は私に問うても無駄
だと思ったのか、軽く笑うと車へと乗り込んだ。その車が見えなくなるまで、私はそ
の場に立ち尽くしていた。