楽園 5
夜更けにふと目が覚めた。はめたままの腕時計を見やると、四時前だった。窓の外
にはまだ微かな光も見えず、波の音だけが聞こえた。私はゆっくりと起き上がると、
手元のジッポで煙草に火を点けた。暗い部屋の中、煙が昇っていくのが微かに見え
る。
この二日間、朝まで眠れたためしがない。元々眠りは浅い方だったが、今は常に覚醒
している状態ともいえた。
原因は分かっていた。あの夜、チンピラに居場所を掴まれた、それだけのことで私は
こんなにも怯えているのだ。あの夜のことで後悔はない。しかし、時が満ちたことに
対する昂揚は、止めることができなかった。
常に付きまとう緊張は、躯からも平安を奪う。恐らくはこの緊張は、この場所でなん
らかの決着を見るまで続くだろう。そう思いながらも、此処を離れようという気持ち
は少しもなかった。
此処が死に場所となるか。
そう思ってみたところで、何の感慨も浮かばなかった。生きるか死ぬかなど、もはや
どうでも良かった。「何時」、「何処で」が多少変化するだけだ。ただ、躯だけはひ
どく昂揚していた。アンバランスな心と躯、それはひどく居心地が悪く、むしろ手放
したい衝動に駆られる。
寝なおそうという気分ではなかった。私は煙草を灰皿に押し付けると、立ち上がり、
階下へと向かった。
店に明かりを点すと、その眩しさに一瞬目がくらむ。客のいない、明け方のその店
は、いつも以上にひどくみすぼらしく見えた。
カウンターに入ると、私はジンを手に取り、素早くジン・トニックを作った。それを
カウンターに置くと、反対に回り、スツールに腰掛ける。
ジン・トニックを口に含みながら、私は川中のことをぼんやりと考えていた。店に来
る度、ジン・トニックを注文していたあの男は、今、どうしているのだろう。あの夜
以来、川中は姿を見せていない。あの時の揉め事にでも巻き込まれているのだろう
か。
そこまで考えて、ふと我に返った。どうかしているとしか言い様がない。己の命がど
うにかなるという瀬戸際で、私が思い馳せるのはあの男のことだった。巻き込まれる
つもりはないし、巻き込むつもりもない。それぞれの土俵でそれぞれが戦うしかな
い、恐らくは交わることのない道を歩んでいる者同士なのだ。それなのに、心はあの
男との関わりを求めている。己の命にさえ興味がないのに、あの男が傷付くことをひ
どく恐れている。
「滑稽だな」
私はそう呟くと、グラスに残ったジン・トニックを呷った。まったく滑稽な話だ。ス
ナックのバーテンと客。それ以上でも以下でもないのに、この驚く程の執着はなんな
のだろう。光と翳の混在する、あの表情に魅せられたのか。
その時、店の外に人の気配を感じ、私は思考を中断した。一瞬にして、肢体に緊張が
走るのが分かる。銃も匕首も二階に置いたままで、今手元にはない。もし刺客である
なら、私の命は寸刻先には奪われているだろう。
しかし、その気配は刺客のものとは明らかに異なっていた。ひどく乱雑で、気配を殺
そうとする様子は全く感じられない。
私はひどい胸騒ぎに駆られ、店の外へと飛び出した。
はたして、其処に居たのは川中だった。どうして、この男はいつも考えている時に姿
を見せるのだろう。