「どういう冗談かだと?」

 振り向いた宇野の表情はひどく剣呑としたものだった。状況が把握できない私は困惑し、立ち尽くすしかない。

「それは俺がお前に聞きたいくらいだ。川中、お前はどうして無駄な揉め事を起こしたがる?」
「どういうことだ」
「叶のところに殺人依頼が来た。期日は早いほど良し。対象は川中、お前だよ」

 私は絶句し、思わず藤木を振り返った。藤木はいつもと変わらず無表情だったが、微かに眉を顰め、視線を床へと落としていた。

「叶の情報網で調べたところ、その殺人依頼は叶だけじゃない、結構な範囲でばらまかれている。報酬は通常より遥かに高額、最初に殺ったもん勝ちのシステムが幸いして今、N市はおまえを殺ろうとしてる殺し屋たちの巣窟だ。どうしたらここまで相手を怒らせることができるのか、ぜひご教授願いたいものだな」

その言葉に、私の頭には真っ先に今日の取引相手の顔が浮かんでいた。あの後、やつが怒りに任せて手辺り次第に殺し屋達に仕事を依頼したのは明らかだった。宇野の心底侮蔑するような視線を痛いほど浴びながら、俺は黙るしかなかった。


「……こういうことだったのか」
 俺は同様に黙ったまま後ろに立っていた藤木に振り返った。藤木は眉をさらに少し顰めて微かに頷いた。

「店に居る時に宇野さんからご連絡をいただきました。叶さんのところにも依頼があったのは寧ろ幸いでした。社長と知人であることは向こうも知らなかったようです」
「そういうことだ。後始末は叶が今やっている。お前は此処で少し頭を冷やすんだな。誰かれに喧嘩売っていい歳でも立場でもないことをいい加減自覚したらどうだ」

多分に棘のあるキドニーの言葉を聞き流し、私は踵を返して入口に向かった。

「待て、どこに行くつもりだ?」
「N市に戻る。自分で蒔いた種は自分で片付ける」
「馬鹿か。そう言うと思ったから藤木に連れて来させたんだ。何のためにわざわざ東京まで連れて来られたと思っている?殺し屋どもが一斉に襲ってくる現場に本人がいたら命がいくつあっても足りないことくらい分かるだろう?こんなことはプロにまかせておけばいい。お前のすべきことは此処で大人しく叶の連絡を待つ事だな。藤木、川中をこの部屋からだすなよ」

宇野の言葉がなくとも、既に藤木は扉の前に立ち塞がっていた。こうなってしまえば出ていくことは不可能だ。藤木は私を気絶させてでも部屋からださないだろう。
 大人しくなった私を宇野はじろりと睨むと気だるそうに立ち上がり、今度は私に一瞥もくれず入口へと向かった。藤木が無駄のない動きで宇野を邪魔しないようにすっと避けるのを、私は目の端で追いかけていた。

「どこに行く?キドニー」
「俺は帰るさ。もう此処に居る意味がない。俺はお前と違って多忙でね。こんな部屋にいつまでも居られるか」

腹立たしそうにそう言い残すと宇野は振り向きもせず部屋を出ていった。


私は脱力して椅子に座り込んだ。全てが私の蚊帳の外で行われ、そして今も私は蚊帳の外だ。大きな窓の外の華やかなネオンが、無性に気に触った。キドニーが吸っていたのか、パイプの甘い残り香が部屋に充満していて、煙草を吸う気にもなれなかった。
藤木は俺がもう出て行く意志がなくなったと判断したのか、手早く部屋にあったセットで私の分だけ珈琲を入れると黙ったまま私の前にそれを置いた。私が恨めしそうに見上げると、困ったような控え目な笑顔が返ってきた。

「知らぬは俺ばかりってやつか」
私は溜息をついて呟いた。

「もしかして、今日の奴がこういうことをするかもしれないってことも気付いてたのか?」
「……小者のわりにかなり気性が荒く、手段を選ばないということは知っていました。しかし、まさかその日の内に殺し屋を手当たり次第集めるとは思ってはいませんでした。結局社長を危険に曝してしまって……」

私のミスですと藤木は深く頭を下げた。私はもはや言うべき言葉を全て失って黙るしかなかった。
結局、本当に何も知らなかったのは私だけなのだ。相手がどういう奴か知っていたからこそ、藤木は同伴を頑として譲らなかったのだろう。事態を把握した上で、何も知らない私に自由にやらせてくれていたのだ。そして私の知らない間に状況を把握し、私の安全を確保してくれ、揚句の果てに起こったことは自分のミスだと頭を下げる。N市に居た時点で私が状況を把握していれば、私は決してその場を離れようとはしなかっただろう。私は何も考えないまま、全て藤木にうまく段取りをつけてもらっただけだ。
ただただ、自分の不甲斐なさに腹がたった。

「社長?」
不機嫌な顔で黙り込んだ私に、藤木が控え目に声をかけてきた。

「すいません、勝手な真似をしまして」
神妙に藤木が言った。

「藤木が謝ることじゃないさ」
私はぶっきらぼうに言った。助けてもらった方の言い草じゃないなと自分でも思ってしまう。

「助けてもらって感謝してるよ。ただ、俺は自分が不甲斐ないだけだ」
そう言ってまた黙り込んだ私を藤木は困ったように見つめ、私の横の椅子に控えめにそっと腰掛けた。