驚いたことに藤木は六時前に事務所まで迎えに来た。私はちょうど、ブラディドールまでいつものようにマティーニを飲みに行こうとしていたところだった。突然事務所に入ってきた藤木は、私の顔を見るとまるで安堵するかのように微かに笑顔を見せた。

「随分早く来たな。どうしたんだ?」
「少し遠出しようかと思いまして。店は坂井に任せてきました。いいですか?」
「いや、店は藤木に任せてあるから、藤木がいいなら別に俺はかまわないが。珍しいな。何かあったのか?」

 そう言いながらも私は藤木に促されるままにスカイラインに乗り込んだ。黙ったまま運転席に乗り込んだ藤木の顔を覗き込むと、藤木は困ったように笑った。

「別にそういうわけではないんですが」
 そのまま車を発進させた藤木に、私はそれ以上を問うのは止めて大人しく助手席に座っておくことにした。藤木の意図は分からないが、遠出と言われ、私の心が浮き足立ったのは事実だった。最近は年末で忙しいこともあり、あまり一緒にいる時間がなかったのだ。幸い、今日の分は時間が限られてしまって集中してやったせいか、予想外に早く終わってしまった。
たまにはこんなドライブもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、久しぶりに藤木と二人で過ごす時間が持てたことを、私は喜んでいた。


 他愛もない話をしながら道中を楽しんでいた私は、しかし、東名高速を走るにつれて、藤木の目的地が東京であることに気付き、驚きを隠せなかった。
東京は私にとって苦い記憶の残る、過去の場所だった。若気の至りという言葉では片付けられない、愚かしい記憶だ。そして私以上に藤木にとって東京は鬼門のはずだった。

自分の組の組長と幹部を殺した極道。その道では絶対に許されざる者。時間の経過と共におそらく廻状は立ち消えになりつつあるが、多くは語られないその過去の記憶は、心中穏やかざるものに違いないはずだった。
仕事柄、東京には何度か足を運んではいるが、仕事から離れたところで東京に来ることは、N市に住み着いてからは初めてのことだった。
私はちらりと運転席の藤木を見遣ったが、その表情からは何も読み取れなかった。

「藤木、いったいどこへ連れて行こうと言うんだ」
私はたまりかねて藤木に聞いた。藤木もちらりと私の方を見たが、すぐに視線を前へと戻した。
車はすでに首都高速を走っている。窓から見える都会の夜景はいつも以上にきらびやかだった。あちらこちらに赤や緑のライトアップがなされているのを見て、私は初めて今日がクリスマスなのだと気がついた。

「藤木・・・まさか、このドライブはクリスマスのデートだなんて言わないよな」
「そうですよ」
 思わず唖然として藤木を見ると、藤木は視線を前に向けたまま、喉の奥で微かに笑った。

「と、言ったら驚きますか?」
「・・・いや、それならそれで俺は構わないが・・・」
「冗談です」
「じゃあ、どういうつもりだ」

 完全にペースを狂わされた私が少し苛立ったように言うと、藤木は今度は少し困ったような顔をした。私にだけ見せるその表情は、いつも私の心を捉えてしまう。

「いまさらですが・・・」
 藤木は呟くように言った。

「何も聞かないでこのまま私にまかせていただけませんか」
 藤木の横顔からは、ある種の意志が込められていることが見て取れた。この遠出が、当初藤木が私を飲みに誘った時以上の意図を含んでいるのだということを、私は認識せざるをえなかった。

「藤木はそれを俺に望むんだな」
「ええ」
「ならいいさ。何処へなりとつきあわせてもらうよ」
 私はそのまま深く助手席に身を沈めた。





 藤木は車をそのまま臨海地区のホテルへと滑り込ませた。無言で促されるままに車を降りる。藤木はそのままフロントへ向かい従業員といくらか言葉を交わした後、カードキーを受け取り、私をエレベーターへと促した。

「これはクリスマスデートじゃないんだよな」
 困惑を隠しきれず、私は茶化すように藤木に言った。

「ホテルに連れて来られて部屋まで取ってあるとなったら、男としては期待してしまうんだが」
「すいません」
「何が?」
「社長にここまで来ていただくことになったのは私の失態です」
「どういうことだ?」

 藤木の言葉に私は思わず足を止めたが、藤木はそのまま部屋の前まで行くとキーを差込み、私を促した。私は訝しんだが、しかし今更拒むこともできず、溜息をつくと室内に足を踏み入れた。
 室内は広く、大きな窓ガラスはカーテンが開け放たれ、外のネオンが光って見えた。室内には照明が点いていなかったが、窓からの光でこちらに背を向けて椅子に腰掛けている人物を判別することができた。

「・・・これはいったいどういう冗談なんだ?キドニー。どうしてお前が此処にいる?クリスマスパーティでも開くつもりか?」
 視界に入った人物が既知の弁護士であることに気付き、私は驚くしかなかった。