Ambasciator non porta pena.







執務室の豪奢な革張りの椅子に座り書類に目を通していたザンザスは、卓上の時計に目をやった。針が先程からものの数分も動いていないことに気が付き、軽く舌打ちをする。さっきから何度その行動を繰り返しているだろう。それに気付いて、そんな己が腹立たしく、目が滑るばかりで内容がまるで頭に入ってこない書類を机の隅へと投げやった。
もうとっくに電話連絡があっていいはずの時間だった。時間厳守はヴァリアー内の重要事項の一つだ。ミスの許されない仕事である以上、何らかの問題が発生したとしても、とりあえずの経過報告だけは義務付けられていた。それなのに、連絡がない。
何度か部下を呼び出し、状況を報告させようとしたが、どいつもこいつもろくな報告もせず、おたついて口ごもり、時間の経過と共に青ざめていくばかりで何の役にも立たなかった。


「あのカスザメ、何してやがる」
無意識に呟き、それにまたうんざりして、ザンザスはとりあえず目の前に置いてあった珈琲カップを引っ掴んで放り投げた。中身は飲み干していたので琥珀色の液体が部屋を汚す事もなく、ただカップが虚しい音を響かせて壁に当たって壊れ落ちた。


今度の任務はそれほど問題があるものではなかったはずだ。交渉が決裂した場合、そのまま抗争に入ることは充分に考えられたが、それも考慮してルッスーリアもつけてある。お優しい十代目が無駄に血を流すのを避けたがるのでとりあえず交渉に行かせたが、あの2人の腕を考えると、話し合いが決裂し抗争になる方が、時間がかからずファミリーの益にもなるというぐらいの話だ。
それなのに、交渉が成立したにしろ、どれだけ派手にやらかしたにしろ、充分お釣りがくるほどの時間が過ぎ去ったにも関わらず、どちらからも連絡がない。2人揃って連絡さえ取れない状況に陥るとは、正直想像もできなかった。下っ端ならいざ知らず、「もしも」など起こりうるはずがない。


また無意識に時計に目をやる。またそれに腹が立ち、今度は寂しく残っていたソーサーを反対側の壁に投げつけた。


その瞬間、恐る恐るといった様子で部屋の扉がノックされた。


「なんだ」
苛立ちと不機嫌さを露にそう言うと、静かに扉が開き、あからさまに怯えきったドア付きの部下が立っていた。扉を開けるのが数刻早ければ、ソーサーをお見舞いしてやるところだ。


「あ、あの、ドン・ルッスーリアが戻られました。ボスに報告をされたいとのことですが」


その言葉にザンザスは眉を顰めた。遅れたにも関わらず電話連絡もなく戻ってきたのもありえない話だが、通常、任務報告はスクアーロの仕事のはずだった。


「通せ」
「はっ」
軟弱な部下はすぐに扉の向こうに姿を消した。換わってなんとも言えない表情を浮かべたルッスーリアがヒールの音をいつもよりずっと控えめにして入室してきた。


「あの、ボス、本当に悪かったわ。連絡もしないで遅れちゃって」
「カスザメは?」
取り繕うように笑みを浮かべるルッスーリアの言葉を遮るようにして、ザンザスは詰問した。


「と、とりあえず、任務は滞りなく済ませたから」
「だから、スクアーロはどうした?」
こめかみに血管を浮かべ、再度ザンザスが問いただすと、ルッスーリアはなんとも言えない困ったような表情を浮かべ、サングラスの向こうで目を泳がせた。


「・・・怪我でもしやがったか?」
「いえ、あの、そういうのとは違うんですけどね」
「だったらなんなんだ!?」
あまりにも歯切れの悪い煮え切らない態度に、ザンザスが恫喝し、もののついでに置いてあったポットを投げ捨てると、今度は琥珀色の液体を撒き散らしながら、派手な音を立て粉々に砕けた。


「あー、待って、待って、ボス、落ち着いて!」
慌てたようにルッスーリアが一歩後退して、宥めるように笑みを浮かべると、ザンザスにこれ以上物を投げさせないとばかりに早口で言葉をつないだ。


「任務は無事、済みました。交渉は決裂しちゃったけど、とりあえず全員ぶっ殺しといたから問題ないわ。あの子もちゃーんと無事。怪我一つしてないの、大丈夫。ただ、ちょっと、ね―――――」
訝しげに眉を顰めたザンザスが怒り出さないよう、手早くかいつまんで状況を説明する。その内容に絶句すると、ザンザスは無言でその場を後にした。
残されたルッスーリアはただ苦笑して溜息を吐くしかなかった。





自室のソファーに座り、がっくりと項垂れていたスクアーロは、凄まじい勢いで扉を叩かれ、びくっと躯を振るわせた。


「おい!カスザメ、てめぇ、ここを開けろ!!」
絶対君主の命令に、スクアーロは真っ青になる。こうなることは最初から分かっていた。ルッスーリアに報告を頼んだのだって、単なるほんの時間稼ぎにすぎないことも分かっていた。それでなくても予定より大幅にずれこんでいる。人の数倍短気で人の数十倍沸点の低い主がこう出てくることは、充分過ぎるほど分かっていた。
しかし、スクアーロは身を竦ませたまま、返事をすることもできずにそのまま固まっていた。鍵をしっかりとかけた扉までのほんの数メートルがあまりに遠い。今すぐ扉を開けなければいけないことは分かっている。けれどもそれをするだけの心構えが、まだスクアーロにはできてなかった。


「いいか、スクアーロ。俺が開けろと言ってるんだ」
扉を叩く音が止み、底冷えするようなザンザスの声が静かに響き、スクアーロはますます身を竦めた。
分かっている。扉を開けなければいけないことは分かっている。けれど、それから先を考えると、どうしても躯が動かない。


一瞬の沈黙の後、凄まじい爆音と共に、扉が弾け飛んだ。扉を突破されるまで、まだ少しの猶予はあると思っていたスクアーロは、突然のことに呆然と立ちすくんだ。扉の向こうには、その手に憤怒の炎を纏わせたザンザスが無表情のまま立ち尽くしていた。
立ちすくむスクアーロを一瞥すると、そのまま大股で近寄ってくる。はっとしたスクアーロはその身を翻して寝室に逃げ込もうとしたが、一足遅く、ザンザスのその大きな手に腕を捕らえられた。


「離せ、ボス、頼むから離してくれ」
顔を背けるようにして必死に懇願するも虚しく、残った手が伸びてきてあっさりと顎をつかまれ顔を向けさせられる。


「なんだ、お前。泣いてやがんのか?」
呆れ返ったようなザンザスの言葉に、辛うじて視線だけは泳がせた。今、ザンザスの顔を真っ直ぐ見ることはどうしてもできなかった。


「くだらねぇ」
顎と腕をつかんだまま、ザンザスは吐き捨てた。


「たかが髪の毛じゃねぇか」
瞬間、スクアーロは身を翻し、ザンザスの手の内より逃れた。堪えていたはずの涙が零れ落ちるのを、どうしても止めることができなかった。


「てめぇが、そう言うの分かってたから、会いたくなかったんじゃねぇか!!」


叫んだスクアーロの、腰まであった見事な銀髪は左半分、肩甲骨辺りからなくなっていた。





ルッスーリアの話によると、交渉は早々に決裂したらしい。こちらとしてもとりあえず形だけでも十代目の命令に従っただけのことで、最初から壊滅させる気だった。当然、向こうもその腹積もりだったらしく、構成員だか助っ人だかを大量に用意して待ち構えていたようだ。しかし、雑魚はいくら集まっても雑魚、ヴァリアー幹部2人に叶うはずもなかった。
ただ、それは本当に偶然が重なっただけのことだった。スクアーロが切り捨てた男が、倒れざまに目の前にいたスクアーロの長い髪をたまたま引っ掴み、これまたたまたま、スクアーロに切りかかろうとしていた男が振り下ろした刀が、そこにクリティカルヒットしてしまったということだった。
ばっさりと切り落とされ、部屋の中に豪快に散らばる己の髪に、スクアーロの顔面から一気に血の気が引き、次の瞬間には髪を掴んだ男と切りつけた男を諸共に首元を掻っ切り、部屋中に血の雨を降らした。


「それからのスクちゃんたらすごかったわぁ。悪鬼とか鬼神って、ああいうの言うんでしょうね」
と、しみじみとルッスーリアは語った。
ルッスーリアが手を出す暇がないほどのスピードで部屋中の人間を叩き切り、せっせと肉片を作製した後、物音一つしなくなった部屋でへたり込み、いかにルッスーリアが声をかけようと微動だにしなくなったらしい。


「もう、全身血だらけですごいことになってて。銀髪に真っ赤な血が映えて、奇麗っちゃ奇麗なんだけど、乾いちゃったら面倒じゃない。だからすぐ洗わせたかったんだけど、その場から動かすのにまず一苦労で。とりあえず連れて帰って、シャワー浴びさせて、着替えさせて。途中で「ボスに連絡しましょう」って何度も言ったんですけどねぇ。他には何も言わないし動かないくせに、「絶対にボスには連絡するな」って、それだけはうわ言みたいに繰り返すもんで、結局こんな時間に。あ、片付けは部下達を向かわせたんで、もう片付いてるはずです。任務としてはすっきり完了、何も問題なしです」


「スクアーロのこと以外は」と続けるルッスーリアの言葉を背に、ザンザスは部屋を飛び出してきたのだ。





なるほど、見事なまでにばっさりと髪が短くなっていた。しかし、それがなんだとザンザスは思う。腕や足が切り落とされたというならば、後々の支障になるだろうが、髪など放っておけば伸びるものだ。確かに、本人に言ってやったことはないが、白銀のシルク糸のように滑らかで艶やかな髪を、ザンザスは密かに気に入っていた。それこそ切り落とされたというならば、それをやった奴を必ず殺すというくらいには。
けれど、既にスクアーロ自身が相手を殺したというならば、何が問題だというのだろう。そんなことで報告が遅れ、自分が苛々とさせられたことの方が、ザンザスにとっては問題だった。


「くだらねぇ」
再度ザンザスは吐き捨てるように言った。その言葉に、スクアーロは酷く傷付いたような顔をする。それが余計に腹立たしく、大きく舌打ちをした。



「・・・女々しいってのは分かってんだぁ」
俯いたまま、スクアーロは呟いた。充分、自分の女々しさは分かっている。髪を伸ばす事で誓いを立てたのは自分の勝手で、ザンザスには何も関係のないことだ。ザンザスにとって「くだらない」ことであることなど、充分分かっていた。
それでも、とスクアーロは思う。ザンザスの為に全てを捧げるつもりで、この髪に誓いを立てた。自分の力とザンザスの力を思えば、願いが叶うのなど容易い事だと信じていた。それが世間を知らない若輩者の愚かさだと気付いた時には、どうにも取り返しのつかない事態になっていた。
一日千秋の思いで主の帰還を待ち続けていた。あの日々を支えていたのは、己の生涯の誓いを立てた、この髪だ。伸びるにつれ、それだけ誓いがより強くなっていくのを目で見て確認し、それを支えに歩いてきた。


結局、スクアーロはザンザスに何も与えることができなかった。再度挑んだ戦いにも敗れ、残ったのは果たされることのなかった誓いの為に、切ることさえできなくなったこの髪だった。これは己への戒めであり、同時に主への絶対なる忠誠の証でもあったのだ。この証さえ守り切れないのならば、いったい自分の存在価値は何処にあるというのだろう。
絶望的な気分になり、スクアーロは涙で霞む視界の中、静かに揺れる己の毛先をぼんやりと眺めていた。




「・・・てめぇは俺にどうしてほしいんだ?」
ザンザスの言葉に、スクアーロは反射的に顔を上げた。不機嫌そうな顔に、けれど怒りや侮蔑は浮かんではいなかった。そこにあったのは、めったにその顔に浮かべることのない、困惑の色が乗っていた。そのことに、スクアーロも困惑する。


「願いが成就するまで伸ばすとか言ってやがったが、それはてめぇにとって、まだ願いが成就してねぇってことか?俺が今から十代目の座を狙えば、てめぇは満足なのか?今の俺じゃ不満か?」
「ち、違う、そういうことじゃねぇ!!」


予想外の言葉に、スクアーロは慌てて首を振った。そんなこと、考えたこともなかった。スクアーロにとって返す返すも赦し難いのは、「願いを成就させてやる」と大見得を切っておきながら、何の役にも立たなかった己自身だ。奪われ続けるばかりの主に、何もしてやれなかった。それだけが慙愧に堪えなかった。それだけだ。


「はっ!そういうことだろうが。じゃなけりゃ、なんでそんなに髪に拘る?」
「それは!違う、そうじゃねぇ!俺はただ、自分の不甲斐なさへの戒めと、お前への忠誠のつもりで!!」
「同じことじゃねぇか、それ」
「・・・え?」


ザンザスの言葉が理解できず、スクアーロは目を瞬かせた。


「同じことじゃねぇか。俺が十代目になれなかったことは、お前にとって、まだそんなに拘らなきゃいけねぇことなのか?そうじゃねぇってなら、いまさら髪が長かろうが短かろうが、もう関係ないだろうが。くだらねぇ」


吐き捨てるように言ったザンザスの言葉には、言葉と裏腹にやはり困惑の色が乗っていた。そういうことなのだと、スクアーロは初めて気がついた。


スクアーロにとって、ザンザスは絶対だった。ザンザスが十代目の座を今でも望むというのならば、今すぐにでもあの東洋から来た善良なる青年の首を、命に代えてでも獲りにいっただろう。けれど、もうザンザスはそんなこと望んではいなかった。居る場所を見つけたのだ。
そんな中で、自分が髪に拘るというのは、結局は過去にしがみ付いているということだ。自分で自覚している以上に、自己嫌悪は深かったらしい。
それは前を向いているザンザスを困惑させる。つまりはそういうことだ。


「・・・ごめんなぁ、ザンザス。俺、頭悪いからなぁ」
今の気持ちをなんて言えばいいか分からない。その言葉を飲み込んで、スクアーロは仏頂面で立っているザンザスの首に緩慢な動作で抱きついた。拒絶はなかったので、そのまま力を込め、肩口に顔を埋める。涙が次々にこぼれ、ザンザスのシャツにしみこんでいく。


「ごめんなぁ、ザンザス。何もできなくて、ごめんなぁ。頭悪くて、ごめんなぁ。・・・でも、俺、お前のことが好きなんだぁ」
「・・・・・・カスザメのくせに、くだらねぇことばっか考えてんじゃねぇ」
「ほんとそうだよなぁ。ごめんなぁ」


めずらしく、本当にめずらしく、人の数倍短気なはずの主は、スクアーロが泣き止むまでそのままの姿勢で付き合ってくれた。
ようやく泣き止んで顔を上げると、大きな手で髪をくしゃりと撫でられた。


「後でルッスに整えてもらっとけ」
「・・・おう」


途端に自分のあまりに子供じみた行為が恥ずかしくなり、スクアーロは慌ててその身を離した。


「ちょ、ちょっと顔洗ってくるぜぇ」
身を翻し、洗面室へと駆け込もうとすると、後ろから「おい」と声をかけられ、動転したまま振り返る。そこにはいつもの不遜な態度の主がいた。


「髪、また伸ばせ」
「え、あ?なんで?」
「俺が気に入ってるから」
無表情なまま言われ、一瞬の後に言われたことを理解し、スクアーロの顔を見る間に赤くなる。


「・・・おう」
小さく答えると、熟れたトマトほどに顔を真っ赤にさせ、スクアーロは洗面室へ飛び込んだ。









fin.








初ザンスク作品です。なんか初っ端から激甘なんですけど・・・。 おかしいなぁ。32歳スクの髪が明らかに短くなっていたので、「いつ頃から誓いを気にしなくなったのかなぁ」と妄想した結果がこれです。もう、バカップルでいいと思うよ・・・。
2009/10/04