「血の匂いを嗅ぐと興奮しないか」
ハボックが言葉の意味を理解する前に、唇に再度、柔らかいものが触れた。今度は先ほどのように離れることはなく、ゆっくりと重ねあわされ、曖昧に開いた唇の隙間から舌が差し入れられる。いつもはハボックが求めることが多いため、口腔を蹂躙される慣れない感覚に戸惑いながらも、ハボックは慌ててそれに応えた。口腔の傷が痛んだが、そんなことはどうでも良かった。
遮られた視界、束縛された躰、鼻につくのは人と物の燃えた匂い、その中で想い人と互いの舌を絡めあい、血の味のする唾液を貪る。その倒錯した状況に、ハボックは眩暈がした。心拍数がさっきまでとは別の意味で上がっていくのが分かる。躰の芯が疼く。
「大佐、……これ、早く外してくださいよ」
濡れた唇が離れた後、微かに荒くなった呼吸の中、ハボックは訴えた。
「こんなのがあっちゃ、アンタを見れないし、触れない」
しかし、マスタングは喉の奥で軽く笑うと、そのままハボックの首元に唇を落とした。
「!ちょっ……大佐!」
「ついでだ。たまにはこういうのもいいだろう?」
「ついでって……!……あっ……」
突然、喉元を食むように吸い上げられ声を上げたハボックは、自分の上げた声に驚いて口を閉じた。とても自分の声とは思えない。再度、鎖骨の辺りを吸い上げられ、ぎょっとしつつも歯を食いしばって耐える。これならまださっきみたいに蹴られでもしていた方がマシだった。暗闇の中から与えられる快楽は、脅威にすら感じられる。
「何故声を上げるのを我慢するんだ?」
揶揄するように言われ、かっと顔が火照るのが分かった。
「俺は声を上げさせる方が得意なんすけど」
「たまには立場が逆転したっていいだろう」
「いや、よかないです。早く外してくださいよ!」
「では、これは今回のことに関するお仕置きということにしよう。それなら文句はあるまい?」
ハボックはぐっと言葉に詰まった。それを言われると返す言葉が、ない。高揚し始めていた気分が一気に落ち込み、罪悪感がまた頭を擡げてきた。
それを知ってか知らずか、マスタングは薄く笑うと、再度唇を落とし始めた。ハボックは意識をそちらに傾けざるをえなかった。普段していることをされるというのは、それこそ180度違った世界だ。やはり、与えられるより与える方が、自分の性にあっているとしみじみ思う。
その時、マスタングの動きがふと止まった。道をつけるように這わされた唇が胸元まできた時だった。ハボックはああと思い出す。そういえばさっき、二つばかり刻印をつけられたんだった。
「………あいつら、腕の二本か三本、焼き切っておくべきだったな」
冗談とも本気ともつかないマスタングの言葉にハボックは身震いした。さっきの殺気を思うと、冗談に思えない。利き腕を焼かれたことがあると言っていたあの男の反対の腕は、今回で焼かれたのだろうか。顔すら見ないままだったけれど。
「―――い、あっ……!」
鈍い痛みが脊髄を駆け抜ける。疵を舐められたのだと気付いたのはその後だった。さっきまで絡み合っていたその舌は、それでも熱を持った疵より冷たく、痛みと共に形容し難い快感が広がった。
シャツの釦が外され、前をくつろがされる。心臓が早鐘のように打っている。それが分かるのか、心臓の真上を吸い上げるよう口付けられ、ハボックはひっと息を詰めた。そのまま胸の突起を指で抓まれ、指の腹をこすりつけるようにされると、自分で制止する前に喉から嬌声が上がった。一度上がるともうそこからは箍が外れたように、荒い息と共に声が上がるのを止めることができなかった。
胸の突起をいじられながら空いたもう片方を舌で包まれ、ハボックは仰け反る。逃げようとする躰を、見た目以上に力強い、もう片方の腕が制した。
「ちょっ………まっ……!大佐!」
焦って上ずった声でハボックは訴えた。
「もう腕はいいですから、せめて目隠しだけでも、外して…くださいよ!」
視界が遮られることで他の感覚が異常に過敏になっている。そうでなければこれだけ躰が反応することを認めることができなかった。される側になってこれだけ焦るのは、やはり男だからだろうか。それとも相手が、いつも自分が抱いている上司だからだろうか。与えられる快感は甘受し難く、ハボックを怯えさせた。
「何をそんなに怯える?」
見透かしたようにマスタングはそういうと低く笑った。明らかに揶揄する物言いのその声は余裕を感じさせるもので、一人追い詰められている自分が情けなくなった。
「あーもう、怯えてるって分かってんなら外してくださいよ。趣味が悪い」
「こういうのは良い趣味してるっていうんだ」
そう言いながらさっきまで胸を這っていた唇に耳を甘噛みされ、ハボックはびくりと震えた。本当に、視界が遮られているというのは厄介だ。特に、この人を相手にするには。
「趣味が、悪い」
詰めた息を吐き出すようにもう一度ハボックが繰り返すと、見えないところから伸びてきた手に胸元を弄られ、思わず声が漏れた。そのまま脇腹まで撫で上げられるとそれだけでえも言われぬ快感が背筋を走る。先ほど散々蹴り上げられ、躰を支配していた鈍痛が、徐々に快感に掏り替っていく。
「立場を逆にするというのも面白いものだな」
本当に愉快そうにマスタングが言う。
「お前がこんなに感じやすいとは思わなかった」
顔に血が上る。しかし抗議の為に上げようとした声は、重ねられ差し込まれた舌に掠め取られた。血と汗の味のする口付けを、二人、交わす。
「……!」
突然、昂ぶりを軍服の上から撫で上げられ、ハボックは思わず顔を背けようとしたが、頭を抱え込むようにして拘束していた腕に阻まれ、叶わなかった。口付けを交わしたまま昂ぶりを弄られ、ハボックは身を捩って突き上げてくる快感からなんとか逃れようとする。勃ちあがりかけていたそこは、今やマスタングの愛撫を受け、どくんどくんと脈打っていた。
頭を拘束していた腕が離れ、唇も離された頃には、ハボックは完全に息が上がっていた。痺れるような快感が次々と湧いて出てくるような感じがする。
しかし、ズボンのベルトに手をかけられ、ハボックは我に返ったように慌てて叫んだ。
「あの、大佐!まさか、そこまで役割交代、しないですよね?」
「なんだ、挿れて欲しいのか?」
「いや、かなりご遠慮したいんですけど!!」
普段、自分が相手に強いていることを求められたとしても、それを断れる立場にないことは分かっている。しかし、どれだけ利己的と言われようと、ハボックにはどうしてもそれだけは耐えられそうになかった。自分が抱く分には何ら問題はない。無能とも揶揄される上司はどこからどう見たって男なのだけれど、その整った容姿は中性的と言えなくもないし、実際事に及んだ時にはひどく艶かしかった。それこそ綺麗だと、ハボックは心の底からそう思う。その一方で快感に溺れながらもその目はどこか挑戦的で、その瞬間は組み敷いて支配しているはずの自分が実は支配されているのだと、改めて実感させられるのだ。
それに対して、他の並み居る同僚達と比べてもかなり体格のいい、男という性別を疑いようのない自分が下になって喘ぐなど、その姿を想像するだけで吐き気すらする。それくらいならさっきのテロリストに撃ち殺された方がマシだったというくらいに。
真っ青になり狼狽えるハボックに、「安心しろ、そこまでは言わない」と笑うようなマスタングの言葉が聞こえた。
「私としても慣れてないお前に挿れるくらいなら、挿れられる方がよっぽどいい」
「御尤もです」
安堵の溜息を吐こうとしたハボックは、いつの間にか開かれた前から下着の中に手を入れられ、自身を直接なぞられ息を呑んだ。反射的に片膝を立てようとしたが、拘束されたままの脚ではそれは叶わなかった。
「ああ」とその時気付いたように、マスタングが身を離すと、若干の間の後、ぽんっと小さな爆発音が聞こえ、ハボックは脚の拘束が焼き切られたことを知った。拘束されていた脚が少しも焼かれていないのはさすがとしか言いようがない。
しかし、感心している間に下着ごとズボンを剥ぎ取られ、さらに狼狽える。今度も抗議の言葉を口にする余裕は与えられなかった。無防備に曝け出された中心を手で握られ、擦り上げられる。膝を閉じようとするが、膝を割って躰を入れられていた為、それも叶わなかった。
「ん、あっ……はっ……!」
堪えようとしても、後から後から声が上がる。視界が遮られ、腕が拘束されているという不自由さに、余計に興奮しているというのは事実だった。いつも自分の前を歩き上に立ち、同時に自分の下で嬌声を上げている上司に、今は自分が喘がされている。彼も確かに欲情していることは、耳に届く微かに荒くなった呼吸音から分かった。
狂っている、何もかも。全てが、倒錯している。
「もうっ……限、界なん……すけどっ!」
喘ぎながら必死で訴えると、さらに追い上げられた。
「あっあっ………!」
一気に駆け上がってくる快感に、頭の中が真っ白になる。自由にならない腕がもどかしく、ぎゅっと拳に力を込める。そのままハボックは、マスタングの手の中で達した。
放心状態になったハボックは、マスタングが身を離した気配を察して我に返った。何も見えないから、躰を離されてしまうと何処で何をしているのかも分からない。ふと不安になり、「大佐」と声をかけたが返答はなかった。代わりにベルトを外す音と微かな衣擦れの音が聞こえた。
今度はハボックの躰を跨ぐように膝をついて座ったらしかった。互いの肌が触れ合うのが分かる。
「大佐」
再度声をかけると、「煩い」と軽くあしらわれる。大人しく黙って様子を窺っていると、まだ脈打っている性器に触れられ、思わず声を上げた。しかしマスタングの指は、先ほどハボックが排出したものを掬い取るように動くと、すぐに離れていった。
何も見えない。動けない。触られなければ、声を聞かせてもらわなければ、状況が把握できない。ただ、触れ合った脚から体温が伝わり、そこに想い人がいることを伝えていた。
「大佐」
堪えきれず声を上げる。それにもやはり「煩い」と返答が返ってきた。しかし、その声は微かに上擦り、掠れている。聴覚に意識を傾けると、先程より忙しくなった呼吸音、それにくちゅくちゅといった、妙に生々しい、いやらしく湿った水音が聞こえた。
今、遮られた視界の向こうで何が行われているのか察した瞬間、触れられてもいないのに、自身が大きくどくんと脈打つのが分かった。
「大佐!」
叫ぶハボックの声も上擦っていた。もうこれ以上、耐えられそうにもなかった。
「大佐、お願いですから!これ外してください!アンタに、触れたい!もう、限界っす!」
「駄目だよ、ハボック」
歌うように、掠れた声でマスタングが応えた。その声を聴くだけで、ハボックはイきそうになる。
「今日は私の好きにやると決めたんだ。お前は大人しくしてろ」
「でも!」
「煩い」
そのまま口付けられ、舌を掬い取られる。口の中が切れているから当然と言えば当然なのだが、何度繰り返しても血の味のするキスだ。
―――――血の匂いを嗅ぐと興奮しないか
最初に囁かれた言葉が蘇る。痛みが快楽に掏り替るのは、動物としての性なのか。それとも、人間に特有の異常性なのか。
胸を弄っていたマスタングの手に力が篭った。はっはっと浅く忙しない息を吐きながら、滾り勃ったハボックのものを、解された蕾に充てがい飲み込んでいく。
稲妻が駆け抜けるような快感に、ハボックは目が眩む思いがした。マスタングの中は熱く、柔らかく、吸い付いてくるような感覚がある。頭の芯が蕩けそうな一方で、いつも以上にダイレクトに感じるその感覚に眩暈を覚え、今にも内にある何かが爆発しそうだった。
完全に飲み込んだのか、呼吸を整えるように浅く息を吐くのが聞こえた。ゆっくりと律動が始まる。深く、浅く、刻まれていくリズムの中、マスタングの洩らす喘ぎが途切れることなく耳を刺激する。
「大佐、大佐!」
叫ぶように、呼ぶ。刺激が強すぎて、もう、何も考えられない。
「―――――ロイ!」
思わず、その名を叫んだ。その瞬間キツく絞め上げられ、ハボックは耐え切れず欲望をマスタングの中に吐き出した。遅れて、己の腹の上にマスタングが欲望を吐き出したのを感じる。真っ白になった頭の中、とりあえず一人でイかなくて良かったと安堵の息をもらした。
「―――おま、えっ……なぁ!」
マスタングが荒い息を吐きながら、ハボックの上に脱力したように身を投げた。
「いきなり名前呼ぶのは、反則だろう!」
「だって、大佐が外してくれないから……俺だって、色々限界だったんすよ、だから、つい……」
「ついもくそもあるか!あー、くそっ!」
そう言ったかと思うと、突然、視界を遮っていた目隠しを取られ、ハボックは反射的に目を閉じた。ずっと圧迫され、遮られていたせいか、なかなか視界が戻ってこない。目を瞬かせてなんとか慣らそうとする。
ぼんやりと見えてくる視界の中、真っ先に飛び込んできたのは自分の上に跨っている上司の姿だった。頭で描いていたものを遥かに超えた扇情的な姿に、繋がったままのものがまた一気に昂ぶるのが分かった。むしろそのまま達しなかった自分を褒めてやりたいぐらいだ。
「あの、あと手もできれば……」
ハボックの言葉に、マスタングは忌々しそうに溜息を吐くと、いつの間にか側に放り捨ててあった発火布を手に嵌め、軽く指を鳴らした。背中で小さな爆発が起きたかと思うと、腕の縛めが解かれていた。今度は若干、腕が焼けたような気がするが、それも上司の動揺の表れかと思うと、むしろ快感ですらある。
「ちょっ……待て!おい!」
マスタングの制止の言葉は、ハボックの耳には届かなかった。やっと放たれた腕で、思う様にマスタングをきつく抱きしめた。頬に片手を添え、今度はハボックが抗議の言葉を絡め取り、口付けた。観念したのか、差し入れた舌に応えがあり、嬉しくなる。貪るように、口付けを交わした。
「今度は、俺の好きなようにやっていいっすか?」
繋がったままのマスタングの首元に丁寧にキスを落としながら、ハボックがお伺いを立てると、「好きにすればいいだろう」と、憮然とした調子の返事が返ってきた。最後まで主導権を握り切れなかったのが、余程悔しかったに違いない。やや機嫌を損ねたらしい上司に気付かれぬよう笑みを零し、ハボックは触れたくてたまらなかったその肌に、再度キスの雨を降らせた。
「あの、今回は本当にすいませんでした」
情事の後、昂ぶっていた熱が冷めて、改めて自分のしでかした失態を思い出し、青くなったハボックだった。さっきまでハボックの下でよがっていたマスタングは、まだいくらかぼーっとした表情で、気怠そうに座り込んでいる。
「何が?」
「何がって、いや、過激派どもにまんまと捕まったりして……」
「ああ」
「ああって、アンタ………」
そんなこともあったなとでもいう風なマスタングの様子に、ハボックは脱力する。自分としてはかなりの失点なのだ。それを軽く流されると、情けなくなってくる。
「俺、クビまで覚悟してたのに……」
「軍部は今回の件でお前のことを知らないからな。犯してもいない失態に懲罰も与えようがないだろう?」
「そう、それなんですけど」
ハボックはずっと疑問だったのだ。なぜ軍部の人間が自分の存在を知らずにここに辿り着けたのか。テロリスト達が脅迫の連絡を入れたのなら軍部が知らないはずがない。それならばどうやってこの場所を突き止めたというのだろう。
「大佐はなんでここが分かったんすか?つーか、なんで軍部の連中が、俺がここにいること知らなかったんです?まさか大佐のとこに直接脅迫電話がかかってきたんすか?」
「いや、お前が連れて行かれる時に後をつけたんだ」
「は?」
「直接奴らに案内してもらったんだから、間違えようがないだろう?」
「いや、ちょっ、どういうことですか!?」
マスタングいわく。過激派残党の潜伏については、既に有能な副官から聞いていた。ブレダとハボックが極秘裏に動いていることは分かっていたから、手っ取り早く奴らを見つけるために、さらに極秘裏にファルマンとフュリーにブレダとハボックをつけさせ、動向を探っていたと。
「それじゃ、大佐は最初っから全部知ってたんですか……」
「当然だ。ただ、どれだけいるかが分からなかったからな。相手をするのは私一人で充分だったんだが、そのまま焼き殺すわけにもいくまい?」
連れて帰るのが面倒だったから軍部の人間に引き取りにこさせたんだと、表情一つ変えず物騒なことを言う上司を前にして、ハボックは本気で脱力した。結局自分は、この上司の掌の上で転がされていただけなのだと気付き、あまりの自分の情けなさに言葉もない。
「まぁ、お前がきちんと捕まってくれたおかげで助かったよ」
「それ、なんの慰めにもなってないっす」
「慰めているつもりもないが?」
「……………」
どこまでも深く自己嫌悪の海に沈みこもうとしていたハボックは、ふとあることに気付いた。
「あの、そこまで分かってて、俺が捕まるのも計算の内だったってんなら、なんであんなに怒ってたんです?」
すげー怖かったんすけど、と言いながら何気なくマスタングに顔を向けたハボックは、その顔に動揺の色が浮かぶのに気付いた。ハボックに気付かれたことを悟ったのだろう、今度は朱色に染まる。
「…………ひょっとして、俺のこと、心配してくれてました?」
「……っ!上司が部下のことを心配するのは当然だろう?私はそこまで冷血漢じゃないぞ!」
「部下としてだけ、っすか?」
「…………煩い」
これだけで、一気に浮上できる自分は、大概、幸せ者だと思う。