ただ貴方が出来ること
かろうじて愛せること
信じること
きつく抱いてやれること







LITTLE BEAT RIFLE







一日の勤務が終り、東方司令部の面々は帰り支度を始めた。ここ数日は特に問題のない日々が続いている。余計な仕事がないと、残業は少なくてすむ。どうせそんな日々は長くは続かないのだから、帰れる時に帰っておくのが得策だった。
和気藹々と帰り支度をする同僚の中、ハボックは机の上を適当に整理しながら、中央の机についている上司にちらりと目をやった。普段と変わらない飄々とした表情で、優秀な副官殿と話をしている。それを見てハボックは人知れぬよう、ため息を吐いた。



「さて、今日はどこに行こうか?」
他の面子が帰ったのを見計らって、ロイはにっこりとハボックに笑顔を向ける。

「いや、もう、大佐のお好きなところで」
「そうだな、そうさせてもらうか。今日はハボックの奢りだしな」
そう笑うロイの目は笑っていない。ハボックの背に嫌な汗が伝った。
この人は、こんな時、いつもこんな顔をする・・・・・・。


事の発端は他愛もないこと。ハボックが軍部内の食堂にパンを卸しているパン屋の看板娘とお茶をしていて、それをロイが見かけた、ただ、それだけのこと。
そんなことでは有能な上官は動じる風もなく。怒りもせず、嫉妬などといった見苦しいものなど微塵も見せず、ただ、執務室に戻ったハボックに、にっこりと笑って「今夜はお前に奢ってもらおうか」と言ったのだ。当然、ハボックは即座に「Yes,sir」と応えるしかなかった。

それはハボックの側に女の影がちらりとでも見えるだけで、いつも繰り返されていることだ。断じて、誓って、浮気と呼ばれるほどのものをしたことがない。哀しいことに、それほどの甲斐性が自分にないことをハボックは充分に自覚していた。そして、そんな甲斐性はなくてもいいと思う程度には惚れ込んでいるつもりだ。
それなのに年上で上司の恋人は、些細なことにも無言のプレッシャーをかけ、ハボックの非を問うてくる。そして、ハボックの了承の返事によって、その非を己で認めさせるのだ。
そのくせ、自分は人目も憚らず、数多の女性達とデート三昧だ。ハボックの眼前でデートの約束を取り付けることも間々ある。不条理としか、言い様がない。

それでも腹が立たないのは、プライドの高い恋人が決して口にはしないであろう嫉妬の念を言外に滲ませていることが嬉しく思う気持ちがあるのと、数多の女性達が、本当の意味で彼の瞳に映っていないことを知っているからだ。
彼がデートに選ぶ相手は決まっている。大概は資産家の娘、軍上層部の娘もしくは軍人その人、伯爵家の令嬢など。年齢のわりに幼い容姿、それと不釣合いに思えるほど高い地位。そのアンバランスさに惹かれる女は多い。彼はその中から、自分にとって有益な人物を選び出して、穏やかな笑みを見せ、自分に惹きつけ、語らったり食事の時間を共にしながら時間をかけて根回しをしていく。強固な後ろ盾を持たない者が上にいくための常套手段を用いているだけのことだ。
だから、今の関係になった後も、ハボックからそのことに言及したことはない。暗黙の了解。不条理を呑むのは、それだけのこと。


閑話休題。
そういうわけで、上司の行動のそれには、腹は立たない。腹は立たない、けれど。
移動の車の中、ハボックはそっと助手席に視線をやる。自分とは異なる、闇を溶かしたような色の髪と目が好きだ。中性的ともいえる端整な顔立ちに浮かぶのは、一見すると穏やかな表情。しかし、内情と表に出ているものが一致していないことは、どこか張り詰めたような空気と、一言も喋らないという無言の圧力が証明している。ハボックは気付かれぬよう溜息を吐いた。
腹は立たないけれど、毎度のことながら、気が重たいのはどうしようもなかった。どうすればこの上司の機嫌が直るのか。機嫌が直るタイミングも方法も毎回違うので手のうちようがない。それを人は我侭という。
我侭なところも可愛いけれど、と思う自分は終わってるという自覚は、充分ある、つもりだ。