さよなら
君の声を
抱いて歩いて行く


あぁ 僕のままで
どこまで届くだろう






今、僕の中には人が居る。
最初にちょっと顔を見ただけで中に入っちゃったから顔もあんまり覚えてない。
蛇と合成されたって言ってたお姉さん。
中に勝手に入り込まれるのなんて初めてだったから(猫はよく入れるけど)、最初はほんとにびっくりしてしまった。
唯一人間で入ったことのあるロゼは、ほんの短い間、僕の了承してのことだったから。



感覚はないんだけどなんか気持ち悪かった。
自分の状態は普通じゃないことは分かってるんだけど、本来体がある部分に人に入られると、改めて自分が普通じゃないんだなって思えて気持ち悪い。
今は気持ち悪いのにはだいぶ慣れた感じ。
お姉さんが喋るとお腹の中で声が響いて、まるで僕の中から声がするみたいで、ほんと不思議な感じがする。
僕が喋るとお腹の中で声が広がるから不思議な感じがするって、さっきお姉さんも言ってた。
お母さんのお腹の中に赤ちゃんが居るのってこんな感じなのかな(赤ちゃんは喋らないと思うけど)。
なんか、誘拐されたり、お腹の中の人と話したり、ホムンクルスや合成人間に会ったり、この体になって初めてのことがいっぱい起こってる気がする。


実はさっき、師匠が迎えに来てくれたんだけど、僕は一緒には帰らなかった。
僕を誘拐した人達の一番偉い人(だと思う)、左手にウロボロスの刺青の入ったお兄さんが、自分はホムンクルスで200年くらい生きてるんだって教えてくれて、魂の錬成方法を教えてあげたらホムンクルスの作り方を教えてくれるって言ったから。
ホムンクルスだなんて信じられなかったけど、実際に証明して見せてくれたから(ちょっと気持ち悪かった)、たぶん本当なんだろうと思う。


もしそれが本当なら、今度こそ元に戻るための手がかりが何か掴めるかもしれない。
そう思ったから師匠には申し訳なかったけど、僕は残って兄さんを連れて来てもらうことに決めた。
ウロボロスのお兄さんは自分のこといい人じゃないって言ってたけど、なんだか面白い人で、僕を誘拐したくせに「まぁ、兄貴来るまでゆっくりしとけや」って、がははって笑ってた。
ああいうのを憎めない人って言うのかな。
さっきまで僕を解体するとか言ってる人も居たけど、僕が全然怖くなかったのはあの人が僕を傷付けることを目的としてないっていうのがはっきり伝わってきてたからのような気がする。
僕を解体するしか、魂の錬成方法を知る手段がないとしたら躊躇いなく解体しそうだったけど。


だから、僕は今、僕の中に居る蛇のお姉さんと、犬と合成されたって言ってたお兄さんと一緒に兄さんが来るのを待ってる。
犬のお兄さんはさっき師匠にあっと言う間にやられちゃったから、ちょっと落ち込んだような顔で煙管を吹かしてた。
師匠の強さも、やっぱり普通じゃないと思う。
それに僕も最初に会った時蹴り倒しちゃったから、お兄さん的には踏んだり蹴ったりだったかもしれない。


「お兄さん、まだ痛い?」

僕が声をかけると、お兄さんはちょっとびっくりした顔をして僕の方を見た。


「さっき師匠が思いっきり殴ってたから。師匠、すごく強いから痛いのがなかなかとれないんだよ」
「これくらいなんでもねぇよ」

お兄さんは不機嫌そうに言った。


「だいたい痛いのが取れないって、お前、痛み感じないんだろ?」
「ドルチェット!」

お兄さんが言った瞬間、僕のお腹の中からお姉さんがちょっと怒ったような声で呼んだ。
そうしたらお兄さん、はっとした顔をした。


「この体になる前は普通の体だったから。師匠と組み手すると傷だらけになって大変だったんだよ」
「あー、そうか…」

僕が答えてあげたらお兄さんはちょっとばつが悪そうな、困ったような顔をした。


「あー、その、だな。お前どうしてそんな体になったんだ?」
「ドルチェット!」

今度はもう少し怒ったような声がお腹から聞こえた。言ったお兄さんもすごく気まずそうな顔をしていて、僕は思わず笑ってしまった。
お兄さんもお姉さんも、やっぱり悪い人じゃないと思う。さっきも兄さんが死んだって勘違いされた時、僕を慰めようとしてくれてたし。




だから、僕は僕がこの体になるまでの話をしてあげた。
父さんが出て行ったこと、母さんに錬金術を誉められて嬉しかったこと、母さんが病気で死んだこと、母さんを錬成したくて師匠について勉強したこと、人体錬成という禁忌を犯してこの体になったこと、元に戻る方法を探すために兄さんと旅していること。


お兄さんも、お姉さんも黙って真剣に聞いてくれたから、僕は全部話すことができた。
話しながら僕は、自分でこの話を誰かにするのは初めてだってことに気付いた。
僕の体のこと、知ってる人は案外多いはずなのに、僕はそれを話したことがない。
マスタング大佐みたいに最初から知っている人が他の人に話したか、兄さんが話すかしかなかったから。


初めて話してみて気が付いたこと。
それは自分の言葉で話すと、案外辛いってことだった。
ただ、母さんを取り戻したかっただけなのに。
母さんと等価なものなんてないことに気付かなかった。
今は体を元に戻すために旅しているけれど、何と等価交換すれば兄さんや僕の体は元に戻るのだろう。
人ならざる者、ホムンクルス。
ホムンクルスの作り方が分かれば、何かが分かるのだろうか。


話し終わった僕が黙り込んでしまうと、少ししてお姉さんは「よく頑張ったね」って言ってくれた。
それはとても優しい声で僕の中で響くから、僕はなんだか安らいだ気持ちになった。
言葉にすると辛い。
でも、気持ちが整理できた気もする。
大丈夫、僕は前に進める。


「話したら、ちょっと気持ちの整理できたかも」

僕がそう言うと、お姉さんは今度は「そう、良かったね」って言ってくれた。
お腹の中で響く優しい声。
慣れただけじゃなくて、僕は案外この状態を気に入っているかもしれない。
お腹に猫を入れるのとは違う感覚。


「あのなぁ」

黙って煙管を吹かしていたお兄さんが、言い難そうに言った。


「今の話を聞いてこんなこと言うのはほんと申し訳ないんだけどよ」
「ドルチェット!」

今度は呆れたようなお姉さんの声。
でもお兄さんは僕のお腹、お姉さんが居る辺りにちらりと目をやりながらも言葉を続けた。


「もうすぐ来るっていうお前の兄貴な。お前の兄貴が取引に応じてくれれば何の問題もないんだけどよ。今の話だとお前らとしてもホムンクルスの作り方を知った方が好都合だろうしな、悪い話じゃないと思うし。ただ、お前の兄貴が取引に応じない場合、俺は力ずくでも魂の錬成方法を聞き出すからな。先に謝っとく。勘弁な」

そう言ってお兄さんは視線を逸らすとふーって煙を吐き出した。
今度のお兄さんの言葉にはお姉さんも何も言わなかった。


お兄さんの言うこと、なんとなく分かる気がした。
たぶん僕や兄さんを傷つけたいわけじゃない。
だけど、欲しいものを手に入れるためには手段を選ばないってこと。
ウロボロスのお兄さんは永遠の命が欲しいなんて言ってたけど、魂の錬成でそんなことは可能になるんだろうか。
それに、なんでそんなものを欲しがるんだろう。
永遠に生きるだなんて、僕には楽しいことだとは思えないけど。


「さっきのお兄さん、どんな人?」
「お兄さんって、グリードさんのことか?」
「うん。いい人じゃないし、お兄さんでもないって言ってたけど」
「グリードさんはいい人だよ」
「馬鹿ね、坊やの基準のいい人とは違うわよ」

僕の言葉に間髪入れずに言い切ったお兄さんの言葉に、間髪入れずにお姉さんが突っ込んだ。


「あのね、いい人とか悪い人とか、そんな次元で計れる人じゃないの。もっと器が違う人。そうね、真っ直ぐな人。自分に正直な人。自分の思った通りに絶対にする人。そんな感じ」
「我が侭な人なんだ」
「ちげーよ!」

僕の言葉にまた間髪入れずお兄さんが突っ込んだ。


「グリードさんは自分の確固たる信念で動いてるんだ。周りに惑わされたりしないんだよ」
「そういうのを我が侭って言うんじゃないの?」
「るっせーな!その表現がムカツクんだよ!」

お兄さんが一生懸命怒るのを見て、僕はなるほどと思ってしまった。
お兄さんがウロボロスのお兄さんの欲しがるものを手に入れようとする理由、なんとなく分かった気がする。


「お兄さん、あのお兄さんのことが好きなんだね」

僕が思わず言うと、その言葉にお兄さんは絶句してしまい、見る間に顔が真っ赤になってしまった。
ものすご〜く分かり易い人なんだなぁ。
お兄さんの方が、よっぽど自分に正直な人なんじゃないかと思う。
僕の中ではお姉さんが大爆笑している。
鎧の中で笑うと、こんなに響くんだな。知らなかった。


「マーテル、笑ってんじゃねーよ!!」
「だって、こんな子供にまで見抜かれてて、あんたほんっと分かり易いわね〜」
「うるせーよ!」

お兄さんの顔はほんと真っ赤で、僕はほんわかした気分になった。
絶対このお兄さん、悪い人じゃないと思う。


「お姉さんは?」
「ん?」
「お姉さんはあのお兄さんのこと好き?」

そう聞くとお姉さんはまた大きな声で笑った。
「坊や、面白いね。私もグリードさんのこと大好きよ。此処に居る皆そう。だから此処に居るの」


グリードさんが居るから居るのよと、お姉さんは楽しそうに笑った。




「鎧クン、元気にしてるか〜って、ドルチェット、お前何やってんだ?顔がえらい赤いぞ」
「なんでもないです!!」

突然扉が開いてウロボロスのお兄さん(と仲間の人達)が入って来た。
犬のお兄さんは真っ赤な顔のままそっぽを向いてしまってる。


「外が騒がしいみたいでな。そろそろお前の兄貴が来たみたいだ。どうだ、兄貴は取引には応じそうか?悪い話じゃないと思うんだがなぁ」
「ちゃんと説明すれば応じないこともないと思うんですけど…」

真面目なんだか何も考えてないんだかっていうちょっと気の抜けた言い方で言われた言葉に、僕はちょっと頭を抱えたくなった。


そこを考えていなかった。
ていうか一番考えとかなきゃいけなかったことだと思う。
状況説明すればなんとかなると思うんだけど、兄さんは頭に血が上り易いから、話を聞いてくれるかどうか…。


そう思いながら、目の前に居るウロボロスのお兄さんを見た。
相変わらずどこか飄々とした表情で居る。
人ならざるもの、ホムンクルス。
とてもそうは思えない。
だってこんなに表情が豊かで、しかも周りの人達がすごくこの人のこと慕っているんだなってことが今ならよく分かる。


「さっき自分のこといい人じゃないって言ってたけど」
「あー?」
「いい人じゃないかもしれないけど、悪い人でもないんだね。お兄さん達と話しててそう思った」

僕がそう言うとウロボロスのお兄さんは一瞬きょとんとした顔をして、すぐにがははって笑った。


「どうだかなぁ。まぁ、俺は俺のやりたいようにやってるだけだ。この世に在るもんは俺か、俺のものか、これから俺のものになるものか、俺が要らないものか、そのどれかしかねぇと思ってる。良い、悪いは関係ねぇよ。そんなこたぁ、俺にはどうでもいいことだが」
「一体何を話してたんだかな、ドルチェット」と、ちょっと意地悪そうに言うウロボロスのお兄さんに、「ほんと、なんでもないんです!!」とさらに顔を赤くして犬のお兄さんが答えていた。


ウロボロスのお兄さんが言うことは相変わらずわけがわかんなかったけど、やっぱり憎めない人だと思う。
僕、この人達を好きになりそうな、ううん、好きな気がする。
そう思った。




それから先のことははっきりとは覚えていない。
覚えてないというより状況を把握できなかったと言った方がいいかもしれない。
兄さんが来てからは嵐のように色んなことが起こった。
結局兄さんは僕が想像していた以上に今度のことを怒ってたみたいで、ろくに説明できないままに交渉決裂してしまった。
僕は牛のおじさんに担いで連れていかれて、軍部の人が来たからってお姉さんと置いてけぼりにされて、ウロボロスのお兄さんが来て、大総統が来て、犬のお兄さん達がウロボロスのお兄さんを助けにきて…。




そして、
皆、殺された。




さっきまで話していたお兄さんも、僕とおっかけっこしたおじさんも、僕の中にいたお姉さんも、皆、殺されてしまった。
お兄さん達は僕にお姉さんを助けてくれって言ったのに、僕は守れなかった。
お姉さんが僕の中で絶命した時、僕はアレに触れたから、その後のことは何も覚えていない。


次に気付いた時には、お姉さんはもう僕の中には居なかった。
今までは当たり前だった空っぽのお腹。
何も入って、ない。


お兄さん達は「軍部に仇成す者」として殺されたって聞いた。
兄さんが「お前は悪くないよ」って何度も言ってくれたけど、そういうことじゃなくて、ただ、僕は哀しかったんだ。




僕の中から響く、優しい声。
顔も覚えていない。
だけど、確かに僕の中に居たんだ。
あの照れ屋なお兄さんだって確かに僕の前に居た。
赤い顔をして煙管を吹いていた。
それを見たのはほんの少し前のことだったのに。
僕の話を聞いてくれた人達。いい人達ではなかったのかもしれないけど、悪い人達では絶対なかった。
でも、今はもう、居ない。





それがただ、僕は哀しかった。











題引用:Spitz