真っ黒な其の眼があたしの眼に光を射てば呼吸が出来る
いまは還えらない影など全く厭だけれど
あなたには殺されても良いわ





椎名林檎「シドと白昼夢」












人殺しの恋   












ベッドに一人寝そべったまま、煙草を吹かしていた。さっきまで身体を重ねていた人はシャワーを浴びている。細く煙を吐き出しながら、先程の会話を思い出していた。
ずっと知りたかったこと。そして、知りたくなかったこと。聞くつもりなどなかったのに。ベッドを立ち去ろうとする、その汗ばんだ綺麗な背中を見た時に、なぜか、言葉にしてしまった。



――――――社長と寝たことありますか?



彼の人は一瞬驚いたような顔をしたが、俺の顔を見て、一言、「ない」と応えた。



――――――それなら―――――――――








次にした問い。その返答を思い出し、煙草を灰皿に押し付ける。



「なーにやってんだか、俺は」



知りたかった。知りたくなった。でも、気付いていた、彼の人の気持ち。
ずっとそれを見ない振りをしてた。



――――――ああ。



あんなに真っ直ぐに、素直な返事が返ってくるとは思わなかった。だからと言って、別の答を期待していたわけでもないけれど。
ただ、何も考えずに聞いてしまった、ずっと抱えていた疑問。






―――――社長と寝たいと思ったことはありますか?







大きく息をつく。



何をショックを受ける必要があるだろう。当然な答が返ってきたまでだ。ただ、返ってくるとは思っていなかったから驚いているだけで――――――。





「先に借りたぞ」
ドアが開き、藤木さんが部屋に戻ってきた。
「あー、はい」
俺は身を起こし、立ち上がった。代わりに藤木さんがベッドに腰掛ける。



上には何も身につけていないその躯には無数の傷がある。左腕、肩の下に抉るようについている傷、その傷がついた時、俺もその場にいた。人を一人、殺した。社長の為に、なんの躊躇いもなく刺し殺した。
二人で。
この人は怖かったと言った。だけどそれは、社長を残したまま死ぬのが怖かったというだけで、人を殺すことへの躊躇いがあったわけではないのだろう。そしてなぜか俺も、少しも躊躇いがなかった。
なぜあんなに躊躇いがなかったのか、なぜこの人について行ったのか、今もよく分からない。ただ、他の誰でもない、この人がついて来いと言ったから、ついて行ったように思う。他の誰でもない、この人が殺ると言ったから、一緒に殺ろうという気になったのだと思う。
川中の方が好きだと言った俺に、「当たり前の事だ」と笑った。
あの顔を見た時から、たぶん、完全にこの人におちたのだろう。



「どうした?」
何も言わないで見つめていると、藤木さんが怪訝そうにこっちを見た。
「いえ…」
慌てて目を逸らす。



聞きたい。聞きたくない。だけど――――深く考えるのは苦手だ。結局真っ直ぐ聞くことに決めた。



「さっきの続き、聞いてもいいですか?」



一瞬、藤木さんが目を伏せた。何も言わないまま、首にかけたタオルを降ろす。短く丁寧に刈り込まれた髪は、すでに乾いているようだった。



「もし、社長が藤木さんと寝たいって言ったら寝ますか?」



藤木さんの目が真っ直ぐに俺の目を見詰めた。
硝子玉の様な目。
何も映さない目。
俺の、好きな目。





「いいや」
「なぜ」
「社長に、命を預けてあるから」



藤木さんが無造作にタオルをサイドテーブルに投げる。俺は黙ったままそれを見つめる。
その場を、沈黙が支配した。



「俺の命は俺のものじゃないんだよ、坂井」
先に口を開いたのは藤木さんの方だった。



「俺の命は、俺をおってくる奴らと俺がやりあうまでは、俺が立花ではなく藤木でいる以上は、あの人のもんだ。だから、俺の命はあの人のためにある。俺の心はあの人にある。そういうことだ」
そう言うと、藤木さんは微かに笑った。





「………それと寝る寝ないがどういう関係なんです?藤木さんは社長と寝たいと言った。それで社長も寝たいっていうんなら、やればいい話でしょう?なんでそれで寝ないって話になるのか、俺には分かりませんね」
「お前は分かり易くて良いな」
「頭悪いですから」
俺の言葉に藤木さんは、今度は声に出して低く笑った。



「頭悪いんですよ、俺。だから、はっきり言ってもらわないと、分かんないです」
「お前は頭が悪いんじゃない、深く考えてないだけだ。別にそれは悪いことじゃない」



藤木さんの言葉に何と応えればいいか分からず、俺はソファーに身を投げる。
頭を使うのは、昔から苦手だった。深く考えないで、思いつくままに行動する。そういう生き方しか、今迄知らなかった。だから、想いを決めた時からこの人についてきたし、この人と寝たいと思ったから何も考えないで求めた。
社長との関係は、見ないように、考えないにするしかなった。でも、どうしても気になって―――気付いたら疑問を口にしていた。確かに、深く考えてのことではない。





「俺の命は、あの人のためにある。俺の心はあの人にある。だから、身体まで預けるわけにはいかない。全てをあの人に預けたら、俺は俺でなくなる。俺が俺でなくなったら、あの人の側にいる意味がない。そういうことだよ、坂井」



藤木さんは行為の最中に投げ捨てられた上着から、煙草を取り出しそれを咥えた。俺が黙ったまま差し出したライターから火をとると、大きく息を吐き出した。



「………俺にはやっぱりよく分かんねーや」
「分からなくてもいいさ」



ベッドの上に投げ出された箱から、俺も煙草を取り出して火をつけた。細く吐き出した煙が、天井へと登っていく。また気だるい沈黙が流れた。



「それなら…」
今度は沈黙を破ったのは俺だった。藤木さんは無言で俺を見やり、言葉を待っていた。



「それなら、なんで藤木さんは俺とは寝るんです?寝ることができない社長の代わりですか?」
なぜか、それならそれでいいと思えた。



社長と寝ることを望み、でもそれを善としない藤木さんの生き方。その理由は俺にはよく理解できないが、藤木さんがそう思うなら、藤木さんにとってはそうなのだろう。
その欲望の捌け口を、俺が藤木さんを求めることで結果として提供したのだから、それに藤木さんがのっただけならば、それはそれでかまわないと思えた。
藤木さんの中の社長。勝てるはずがなかったし、強がりではなく、勝ちたいとも思わなかった。社長の為に在る藤木さん。それに惚れたのだから。





藤木さんは少し驚いたような顔で俺を見た。一見にはほとんど動かないその表情も、つきあいが長くなればなるほど、微妙な変化が分かるようになった。それはほんの一瞬だから、俺はその瞬間を捕まえることが好きだった。



「………そう考えたことはない」
だいぶ短くなった煙草を、藤木さんは灰皿に押し付けた。
「ただ、俺はお前が嫌いじゃないから、お前を拒む理由が見付からなかった」



考えるようにゆっくり話す藤木さんは、自分の言葉に困惑しているようにも見てとれた。そして、しばし沈黙した後、納得したように「自分勝手なんだよ」と呟いて微かに笑った。



「俺はお前が嫌いじゃないから、お前を拒む理由がないから、だな。それで、今言われるまでお前の気持ちとか、どんなつもりかとか考えたこともなかったし、考えようとも思ってなかった。自分についても然りだな」
「社長との関係については考えてても?」
「そうだ」
「ひっでーなぁ」





俺も微かに笑った。これも強がりな気持ちではなかった。
俺を社長の代わりに見ていたわけでもないけれど、俺について考えていたわけでもない。
その心に在るのは常に社長のこと。
そんなことを平然と口にする藤木さんに、妙な納得をしてしまい、笑えた。その言葉に嘘がないことは、なぜか確信できた。結局、この人は社長至上主義なのだろう。



「そう思うなら、こんな男を相手にするのはよした方がいい。ろくなことにならんよ」
「それも随分な言い方ですよ」
「俺は俺さ」
そう言うと、藤木さんは自分の言い様に少し照れたのか、にやりと笑った。



俺も煙草を灰皿に押し付けると、ソファーから立ち上がった。藤木さんが微動だにせず、ちらりと目線で俺を追うのが分かった。



何も考えなかった。ただ、俺を追う目線に引き付けられて、屈みこむとその唇にそっと口付けた。薄い、見た目より柔らかい唇。藤木さんは何も言わない。
目線だけが、真っ直ぐに俺の眼を射抜く。



「正直に答えてもらえて嬉しかったですよ。まさかあんな質問に真面目に答えてくれるとは思わなかった。殴られるの覚悟だったんですけどね」
「………言っただろう。俺はお前が嫌いじゃない。あんな真剣な顔で聞かれたら、真面目に答えるしかないだろう?」



そんなに真剣な顔をしていただろうか。していた、かもしれない。俺にとっては切実な問題だった。でも、あのずっと張り詰めていた思いと、答を聞いた時のショックは、自分でも不思議なくらい今は嘘のように消えてなくなっている。



「俺のこと嫌いじゃないっていうのは、少しは己惚れてもいいんですかね。まったく対象外ではないってことで。まぁ、俺としては、とりあえず今の関係続けたいんですけど、駄目ですか?」
そう言って笑うと、藤木さんは呆れたような顔で俺を見て、苦笑した。



「物好きな奴だ」
「俺は俺ですよ」
藤木さんを真似てそう言うと、藤木さんは声に出し低く笑った。



小柄で狂暴で冷徹で自分勝手で俺でない他の奴を見てて――――それでいて俺の心を捕らえて離さないけだもの。結局、俺はこの人にどうしようもないくらい惚れているのだろう。こんな惚れ方も、ありだ。
そう思って、俺はまた、笑った。













うちの坂藤においては、藤木さんは社長のことが好きすぎでプラトニックな関係というのがデフォです。
で、そんな藤木さんが大好きな坂井。色々とおかしいから(笑)
2007/02/12