貴方に降り注ぐものが譬え雨だろうが運命だろうが
許すことなど出来る訳ない
此の手で必ず守る
傍に置いていて



貴方を知り尽くすことが譬え 可能だろうが不可能だろうが
満たされる日が来る筈もない
身体が生きている限り
側に置いていて



貴方に身をまかすことが譬え 危険だろうが安全だろうが
留め金などが在る筈もない
全て惜しみなく挙げる




椎名林檎「闇に降る雨」












闇に降る雨    藤木其の一












喉に渇きを覚えて目が覚めた。



肩に係る腕の重さ、すっぽりと後ろから自分を包む暖かさの中、ぼんやりと自分の置かれている状況を思い出す。





――――ああ…。



軽く溜め息をついた。
抱かれたまま、意識を飛ばしたのを思い出す。




普段、この人は無理を強いるような真似はしない。
只、時折、何かに急き立てられるかのように、我武者羅に自分を抱くのだ。
そんな時、まるで獣のように自分を抱いているその人は、唯、眼が苦しそうで哀しそうで。
まるで一人取り残された子供の様だと。
そんな眼をさせたくないと、守りたいと願うのに。
その眼を見届けることもなく意識を飛ばしてしまう自分に唯々、不甲斐なさを感じる。



足の間にそっと手を伸ばすと、そこが完全に清められているのが分かる。
いつもそうなのだ。
自分が先に意識を飛ばしてしまうと、それまでの獣とした様を埋め合わせるかの様に、劣情を覆い隠すかの様にそこは清められる。
そして意識を戻した自分が恐縮する様を、唯、優しい顔で眺めているのだ。






起こさない様に、そっと自分に掛かる腕を押し上げると、ゆっくりとその身を捩り、起こした。
見やると、規則正しい呼吸が聞こえ、安らかな寝顔がそこにあった。
その眼は閉じられ、何の色も見えない。
いつもの、子供の様な眼が好きだった。
そんな眼で無邪気に笑う彼が好きだった。
その眼を守りたいと、何に代えてもそれを守りたいと、守れると思っていたのに―――。





それは、エゴだ。






高村が来た。
会いたくなかったと苦しそうに顔を歪めて呟く奴の言葉は真実で、それでも奴が何をしようとしているか分かった。



藤木としての自分が壊れていく音を聞いた。
自分は矢張り、立花でしか在り得ないのだ。



一度負った業が、消え失せた様な夢を見ていた。
夢は夢でしかないのだと、その眼が言った。







ぼんやりと想い人の安らかな寝顔を見つめる。
この人はきっと気付いているのだろう。
自分が気付かれたくないと思っている事も気付いているのだろう。
だから何も言わない。
お互い何も言わない。
唯、身体を重ねる。



愛してる。
けれど、それを想う資格は、ない。



この人が望んだ、藤木では在り得ないのだから。







その顔に触れたくて。
手を伸ばし掛けて止める。
居た堪れなくなってその顔から顔を背けた。
この、胸を掻き毟りたくなる様な、この気持ちに何と名前をつけたらいいのだろう。




唯、哀しい。






手を引いて、静かに身をベッドから滑り出し、その場を離れようとした。
その手首を後ろから掴まれ、息を飲む。
振り返るとついさっきまで閉じられていたその眼が自分を見ていた。
薄暗い部屋の中、ルームランプに照らされたその眼は何処か不安そうで。



「何処に行くんだ?」



問われて答えを探す。
ああ、そういえば喉が渇いていた。



「喉が渇いて。水を飲もうと思って」
「行くなよ」



掴まれたその手を引かれ、その胸に倒れ込む。
自分とあまりに体格が違うそこは広くて暖かくて。
すっぽりと入ってしまう自分が情けなくもある。



まるで壊れ物を扱う様にそっと抱きすくめられた。
「行くなよ」
再度、彼が囁く。
「俺の側にいろよ」





泣きたくなった。
唯、無性に泣きたくなった。



それは自分も望んだこと。
望んではいけなかったこと。
この人に、望ませてはいけなかったこと。






「すいませんでした」
代わりに小さく呟いた。
「また、社長の手を煩わしてしまって」



自分を抱きすくめるその人は何も言わないで、唯、いつものように微笑んだまま啄ばむ様な口付けをした。



「愛してるから、側にいろよ」





無言でそっとその広い胸を押す。
自分を包む暖かさから逃げる。



「やっぱり、水飲んできます」



今度はその腕を掴まれることはなかった。






「俺にも水を持ってきてくれないか」



部屋を去ろうとした後ろから声がかかった。
振り返るとそこには想い人がいて。
俺は、微笑むしかなかった。













黙約途中。藤木さんの苦悩。
想像するだけで苦しくなりました。
2007/02/12