いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
一滴の水の微顫も
無益な千万の波動をつひやすのだ
水の静けさを貴んで
静寂の値を量らなければいけない







おそれ







休日の午後、藤木はスーパーで買って来た荷物を机に置くとほっと一息ついた。
ブラッディドールは基本的に無休で営業している。そのため従業員はシフトを組んで休日をとっていた。藤木としては特に休日が欲しいわけではないのだが、労働基準法などからそういうわけにもいかないらしい。
しかしとりたててすることがないとはいえ、洗濯や掃除、蒲団干しにアイロンかけと、日頃やらないことを一通りこなすと、それなりに日は傾きかけていた。久しぶりの家での夕食のため、食材を買いに出掛け、帰って来たところだった。

料理をすることは嫌いではない。ずっと独り者だったため、包丁を握ることには慣れていた。しかし、スーパーという場所に行くことは、時にひどく居心地が悪かった。あまりに生活感のあるそこは、自分にとって不釣り合いのように感じてしまうのだ。特に、此処に居着くようになってからは、そこに僅かながらも居心地の良さを感じるようになってしまい、それが逆に居心地の悪さへと繋がっていた。
やや疲れた気持ちに一息入れると、藤木は荷物を解き始めた。

その時電話が鳴り、藤木は顔を上げた。この部屋に電話をしてくる者は限られている。特に休日ともなればなおさらだった。


「はい、藤木ですが」
「俺だよ」


想像通り、電話の主は川中だった。名前を名乗ることのない不遜な態度は実に川中らしく、気に触ったことはない。


「どうかされたんですか?」
「今日、夕飯を喰いに行くよ。なんでもいいから作ってくれ」


こちらの都合を聞こうともしない川中の言葉に藤木は軽く溜息をついた。川中が言い出したことを拒絶できたためしがない。拒絶したいと思うこともしたいと思わないことも、全て均しく川中の希望通りにしてきた。


「たいしたものはできませんが」
「いいさ。七時くらいに行くから」


嬉しそうに言うと川中は藤木の返事も待たずに電話を切ってしまった。軽く溜息をついて受話器を戻しながら、藤木は冷蔵庫の中味と先程買ってきた食材とを考え合わせ、夕食の献立作りへと思いを馳せた。




部屋のチャイムが鳴らされ、藤木は料理の手をとめた。時計を見るとなるほど言った通りの時間だった。


「藤木、腹減った」


扉を開けると、開口一番川中は言った。よほど空腹なのだろう、情けない顔をした川中の表情は子供のそれのようで、藤木は思わず苦笑してしまった。


「もう少しでできるので待ってて下さい」
「ああ」


これまた子供のように頷くと、川中は勝手知ったる様子で部屋に上がり、ソファーへと腰掛けた。
会社の名義で借りているこのマンションは、一人で住むには決して狭くないのだが、川中のマンションに比べると、はるかにずっと見劣りしてしまう。しかし、あの高級マンションがよく似合うこの男は、不思議と手狭なこのマンションにもよく似合った。クッションを抱えて夕食を待つその姿は、まさに夕食の準備を手伝うことなく待つ子供のようで、藤木は気付かれぬように低く笑った。気付けばきっと、それこそ子供のように怒るに違いない。