TRIP SKY







 年の瀬が迫っていた。
私は事務所で年末の仕事納めに向けてラストスパートをかけていた。年内最後の大仕事を数日後に控え、目を通す書類はいくらでもある。

ふと気付くと受付の辺りが騒がしい。どうやら来客のようだった。今日はもうアポは入っていない。しかも来客はそのまま私のオフィスに入ってくる気配だった。
私のオフィスにアポなしで直接入ってくる輩は主に二人。その内の一人は坂井だ。この街に落ち着くようになってからは精神的にも安定したようで、愛想も良く節度を弁えているので、川中の忠犬二号であるという点を除けば私にとってそれなりに良い話相手だった。否、人付き合いが嫌いな私から考えると気に入っていると言っても良かった。
しかし、残念ながら今日の来客は坂井ではなく、むしろ歓迎し難い方らしい。その足音に私はうんざりして溜息をついた。

もう一人の輩、金魚好きの元殺し屋。しかし元と言っても別に看板を降ろしたわけではないらしい。ただ、名目上、探偵という職業に変わっただけだ。今でも年に数回は仕事を請け負っているようだが定かではない。
なんにせよ、愛想は坂井以上でむしろ過剰、節度はまったく持ち合わせていないこの男を歓迎する寛大な心を、正直私は持ち合わせていなかった。それは当人にも嫌というほど直接伝えたはずだ。なのに私の言葉を聞いてか聞かずか、懲りずに日参してくる。その真意を計り切れず、私はいまだに困惑を隠し切れなかった。
妙に足音のしない独特な足音が扉の前で止まり、ノブに手がかかった。


「今忙しい。帰れ」

私は開かれた扉に、顔を上げることなく即座に言い放った。しかし一切動じる風もなく、その足音は室内に入り、扉を閉めた。

「嬉しいね、キドニー」
歌うように叶は言った。

「足音だけで俺だと分かるとはね。これはもう、愛と言っていいのかな?」

 放たれた言葉に私は溜息をつき、扉の方を見遣った。黒色のレザーパンツ、茶色のレザーコートで身を包んだその男は、相変わらず口元に笑みを浮かべ私を見ていた。

「なんでもいいから帰れ。邪魔だ」
「つれないな。そういうところもいいがね」

恐らくは私の言葉の内容は少しも聞いていないと思われる叶は、薄く笑うとマガホニーの机にその腰を載せ、私の顔を覗きこんだ。薄茶色の瞳に至近距離から見つめられ、私は思わず視線を逸らした。

「今日は用件を伝えに来ただけだからすぐ帰るさ」

柔らかいバリトンの声に耳元で囁かれ、私はぞくりと背に走るものを感じ、慌ててその身を叶から離した。背に走ったものが決して嫌悪感からくるものでないことは自覚していた。だからこそ、私は自分の顔が羞恥で赤くなるのを止めることができなかった。
私は叶と躯の関係をもっている。私が特に望んだわけではなく、叶にしつこく求められ、成り行きでもったようなものだ。

私はずっと昔、まだ躯が健康で将来に夢や希望を抱いていた頃、川中と躯の関係をもっていた時期があった。それは若さ故の戯れのようなものにすぎなかった。己でも制御できない何かを、一番近くにいた互いに求め合うことで埋め合わせていただけだ。そのことは互いに理解していたし、時が経ち多くのものが変わった今でもそう思っている。

だから、叶に求められた時、私にはその真意がまったく分からなかった。川中と求め合った時と較べ、私の躯はあまりに変わってしまった。醜く残る傷痕や手術痕の数々。筋肉がこそげ落ちた痩せぎすの躯。いまさら誰かと交わろうなどと私自身、考えもしていなかった。機械の助けがなければ三日と持たない躯だ。自分でさえ受け入れ難いこの躯と、一体誰が交わるというのだろう。

なのに叶は私を欲しいと言う。何故かと問うと愛してるからだと言う。私には冗談にさえ聞こえない。睦事を囁き合うのは男女間でのことのはずだ。
しかし叶は何度も何度も繰り返す。愛してると。だから私は混乱する。求められるままに関係を持ってしまった今でもそれは変わらない。こんな終わってしまった躯に、叶はいったい何を求めているのだろう。


身を引いた私に叶はうっそりと笑うと、ゆっくりと身を起こした。

「イヴの夜のキドニーを予約しにきたんだが了解してもらえるかな?」

柔らかく微笑んだ叶から少し視線を逸らしながら、私は体勢を整えた。

「生憎だが」

私は引きだしからパイプを取り出し、ゆっくりと火を点けた。叶の視線が私の動きを追っているのが分かる。

「俺はその日、東京で仕事があるんでね。N市にはいない。だから非常に残念だが予約は受理できない。さぁ、これで話は終わりだろう。仕事の準備があるんでね。出て行ってくれ」

私の煙と共に吐き出された言葉に動じた風もなく、叶は机からその身を下ろした。

「それはちょうど良かった。東京のホテルを予約してあるんだ」

唖然とする私に叶はにっこりと笑った。

「宇野先生がクリスマスに東京で年内最後の大仕事をすることぐらい知ってる。宿泊先を探す手間が省けただろ?さっき残念って言ってたんだ。当然予約を受理してくれるよな」

私は言うべき言葉が見当たらず、憮然として黙り込んだ。してやられたとはこのことだ。

「沈黙は了解の印と解釈していいかな?」
「勝手にしろ。いいかげん早く出て行け」
「了解」

 叶はそう言ったかと思うと突然その端正な顔を近付けてきた。ぎょっとした私が避ける間もなく、唇に柔らかい感触がふっと触れ、すぐに離れた。

「予約を入れた印」

そう言うと終始笑顔だった元殺し屋は固まっている私を置き去りに、軽やかな足取りで出て行った。
 私は深く溜め息をつくと、思わず取り落としていたパイプをのろのろと拾った。あの男だけは理解出来ない。そして、あの男のいいように流されている自分も理解出来なかった。
 すっかり脱力してしまった私は卓上の書類を掴みかけて、そのまま手を離した。机から零れた書類が床に散らばる。私はただ、大きく溜め息をついた。




fin.









せっかく「しょうがなく」のスタンスでクリスマスデートを約束したのに社長に邪魔される可哀想なキドニー(笑)
キドニーは叶に翻弄されるといい。なんだかんだと言いながら、ラブラブな2人だといい。
叶キドを書いていて思うのは、「叶、書きやすなぁ!」ということです(笑)お喋りな元殺し屋(金魚飼育中)って設定もかなりツボだ。
2006/12/02