笑わない人







雪が降っていた。


閉店後、女の子達もボーイも皆帰り、気がつくと二人になっていた。
いや、気がつくと、ではない。
いつの頃からか、そういう習慣になっていた。
藤木さんは何も言わない。
俺も特に何も言わない。
ただ、示し合わせた様に、一緒に店を出る。


店を出ると、雪が降っていた。
すでに地面に薄っすらと積もっている。
吐く息が白い。
通りに人影はなく、静かに雪が降っていた。


その場から動かずに白い景色を眺めていて、ふと横に目をやると、藤木さんが同じ様にその景色を眺めていた。
雪の中立ち尽くすその姿は、なんだかとても儚かったから。
俺は、後ろからそっと抱き締めた。
身長差から、藤木さんはすっぽりと俺の腕の中に入ってしまう。
その身体が冷えないように、きゅっと抱き締めた。


拒絶の言葉も動きもなかった。
ただ、ちらりと自分を見上げた目が、「なんだ?」と問うているのが分かった。


「やっぱ雪はいいですね」
俺が微笑んで言うと、藤木さんは目線を前に戻し、「そうだな」と軽く呟いた。


しんしんと雪は降る。
音もなく、ただ静かに。


「今日は俺んちに来ませんか?こんな寒い夜は暖め合うのが一番ですよ」
あからさまな誘いの言葉。
でも、拒絶の言葉も動きもなく。
藤木さんは俺の腕の中でただ小さく「そうだな」と呟いた。






部屋に入るとまずエアコンをつけた。
低い音と共に、生暖かい人口の風が上から流れてくる。
エアコンはあまり好きではない。
ひどく空気が汚れるような気になる。
ただ、部屋に備えつけてあったから、他の暖房器具を買うのも馬鹿らしくて使っているだけだ。


藤木さんは黒の革コートを脱ぐと、勝手知ったるといった様子でソファーに腰をかける。
ベージュの革張りのソファー。
寝そべれるように買った、横に広いだけの安物だ。
1つだった黒いクッションは、藤木さんが来るようになって2つに増やした。


「酒、飲みますか?」
俺の呼びかけに藤木さんは「ああ」と言葉少なに応えた。
どうも今日は、言葉数が少ない。


ソファーに並んで座ってタンカレーを飲みながら、しばらく他愛もない話をした。
話をするといっても俺が1人で話す形で。
合間に藤木さんが微かな相槌をうつだけだ。


「なんか今日、いつもより無口ですね」
しばしの沈黙の後、俺が言うと、グラスの中の氷をボンヤリと眺めていた藤木さんが、俺の方に目をやった。

「そうか?」
「そうですよ。いつもお喋りってわけじゃないけど、それにしたって今日は静か過ぎやしませんか?」
「………なんだろうな、なんとなくそんな気分の日もあるだろう?」
その言葉に俺は微かに笑った。

「なら、言葉がなくてもできることしますか?」


グラスをサイドテーブルに置いて、その眼を覗き込む。
なんの感情もない眼。
最初は冷たい眼だと思っていた。
しばらく一緒に居ると、実は感情豊かな眼だと知る。
ただ、感情が浮かぶのが一瞬で、まるでそこには感情などないように見えるだけだ。
何かを想うことが罪であるかのように。
その眼は感情が浮かぶことを拒む。


「キスしてもいいですか?」

俺が微笑むと藤木さんは軽く眼を逸らして、グラスをサイドテーブルに置いた。
肯定の合図。
その頬にそっと右手を添える。


藤木さんとやる時はいつもそうだった。
まるで初心なガキみたいに、丁寧に手順を踏みたくなる。
女とやる時だってそんなことしたことはなかった。
無理矢理連れ込んで、抵抗すれば一発、頬っ面をはたいてやる。
それで静かになる。
俺と寝たがる女は、大抵それを喜ぶような奴らばかりだ。
だから、この人を初めて抱こうとした時、妙に緊張したのを覚えている。


右手の親指でそっとその薄い唇をなぞる。
冷気にやられたそこは少し冷たく、かさついていて。
軽く唇を重ねると舌でなぞってみる。
甘噛みをする。
それに合わせて、頬に添えていた右手を後頭部にまわす。
左手でその足の間をそっと開いて。
自分の膝を間に滑り込ませる。


重みでソファーがぎしっと鳴った。


徐々に口付けが深くなっていって。
歯列を割って舌をその口腔に入れると、躊躇うことなくその舌が絡められ、少し驚く。
いつになく積極的な行動に、俺の理性はどんどん箍を外していく。
貪るように口付けて。
どちらのものとも知れない唾液が、藤木さんの口元から喉へと伝っていく。
人口の風を排出する音と、卑猥な水音、それに時折軋むソファーの音がいやに部屋に響く。


「……ふっ」


長い口付けの後、その唇を解放するとせつなげな吐息が漏れた。
明らかに上気したその吐息に、ぞくりとしたものが背中を走る。


「今日はいつもより積極的ですね」

伝った唾液を喉元から舐め上げて、その耳元で囁くと、その肢体が微かにびくりとしたのが分かった。

「文句があるならさっさと退けろ」

いつも色のない眼は、この時だけは欲情の色をのせて。
上気した眼で睨むから。
俺は、余計に欲情してしまう。


「退けていいんですか?こんな状態で」

からかうように言ってズボン上からそこを触ると、勃ち上がりかけているのが分かった。
次の瞬間。
鳩尾に衝撃が走って、俺はそのまま息を詰まらせた。
呼吸ができない。
身悶える俺の横で、乱れかかったシャツを正して藤木さんがソファーから立ち上がろうとする。
なんとか呼吸を整えて、その腕を掴む。


「なにも本気で殴らなくてもいいでしょう?」
「相応の報いだと思うがな」
掴む手を振り払おうとする、その腕を更に強く掴む。

「こっちもその気になってんですから、最後までつきあってもらえませんかね」
「お前がくだらないことを言うからだ」

その言葉を無視してその腕を強く引くと、その身体はソファーに倒れ込んだ。
本気で抗う気なら倒れ込むはずがない。
そんな軟な人でないことは知っている。


「悪かったですよ」

俺は苦笑しながら、その身体に被さるようにして、まだ睨み付けてくるその眼を見つめる。
欲情した眼。
まだ熱は失っていない。

「いつもより積極的なんで、つい嬉しくなっちまったんです。このままここで続けますか?それともベッドに行きますか?」

俺が言い終わる前に首元を掴まれ、荒々しく口付けられて。
思わず言葉も失ってしまう。

「言葉がなくてもできることをするんじゃなかったのか?」


瞬間、顔がにやけるのを止めることができなかった。

「その通りです」

藤木さんが口元で微かに笑うのが分かった。


貪るようにその唇を奪う。
口付けを交わしながら一つづつボタンを外していく。
決して無理矢理剥ぎ取るのではなく。
一つ、一つ。
そんな馬鹿丁寧さが我ながら楽しい。


直に触れたその肌は思った以上に暖かかった。
逆を返せば俺の手の方が冷たいということで。
その身体がびくりとするのが分かる。
丁寧に丁寧に、その身体を愛撫する。
温もりを共有できるように。
手の動きに合わせて舌を喉元に這わすと、微かに喉が上下するのが分かった。


完全に開かれた胸に向かって、舌を這わせていく。
胸の飾りを舌で転がすと、その肢体が震える。
無駄が一切省かれたその身体。
女みたいに柔らかくない。
あの触り心地の良い胸があるわけでもない。
全てを拒絶するかの様な、鋼の身体。
なのに。
どうして俺はこんなに欲情してしまうのだろう。


愛撫する肢体が、息を詰めてるのが分かる。
この人はいつも喘ぎ声を抑えてしまう。
身体はこんなにも正直なのに。
密やかな喘ぎ声しか聞こえない。
一緒に堕ちて欲しいと願う。
もっと、喘がせたくなる。


自身がひどく猛るのが分かった。
けだものの様に押さえ付けて犯してしまいたい衝動に駆られる。
女とやる時はいつだってそうだった。
どうすれば己の欲望を満たせるか。
それだけだった。
だけど、それはこの人を傷付けてしまうから。
傷付けない様に傷付けない様に。
何故だか俺は、ひどく臆病になる。
そしてその臆病ささえ、なんだか心地良い。


指で内を探り、良い所を探し当てると、初めて声らしい声が漏れた。
汗ばんだ裸体がソファーの上で揺れる。

「声、もっと聴かせて下さいよ」

うっそりと笑ってそう言うと、潤んだ瞳が睨み付けてくる。
その眼が俺をさらに駆り立てることを、この人は気付いているのだろうか。


口付けを交わす。
身体を繋げる。
その肢体は女のものと比べ物にならないくらい硬いけれど。
その中はどの女より具合が良い。


汗が伝う。
交じり合う。
俺の首元に顔を埋めて、声にならない声を上げるこの人を、俺は、何故、こんなにも愛しいと思ってしまうのだろう。





「煙草くれるか」
ソファーに寝そべったまま、藤木さんが手を伸ばしてきた。
俺はソファーの側に座り込んで煙草を吹かしていた。
黙って煙草を一本渡し、ライターを差し出す。
俺の耳の横で、藤木さんがふっと息を吹く音が聞こえた。
藤木さんは滅多に煙草を吸わない。
ただ、やった後は時折こうして吸っている。
二人で黙ったまま煙草を吸う、このまどろんだ空気が、妙に好きだ。


「お前は俺のなんなんだろうな」
藤木さんが煙を吐き出したあと、呟くように言った。

「なんですか急に」
寝そべったままの顔を覗くと、すでに色を失った、硝子玉の様な眼が俺を見ていた。

「坂井、お前は俺のなんなんだ?」
「さぁ」
俺は苦笑して言った。

「俺は恋人になりたいって思ってますけどね。確かこういう関係になる前に、恋人になるのは無理だって藤木さんが言ってませんでしたっけ?あれ、撤回してもらえるんですかね」
藤木さんは何も言わないまま、眼を閉じた。
硝子玉さえ、もう見えなくなった。


「俺は誰の恋人にもならんよ」
暫く黙ったまま見つめていると、低い声が聞こえた。

「俺の命は俺のためにあるわけではないから、誰の恋人にもならない」
「………社長のためですか?」
「そうだ」

なんの迷いもない、真っ直ぐな言葉。
あまりに真っ直ぐで、返す言葉を見失う。


「お前は、俺のなんなんだろうな」

独り言の様に呟く藤木さんに、俺はただ、笑うしかない。
俺はなんなのか。
俺にもよく分からない。
分かることは、俺はこの関係が失われることを恐れている、ただそれだけだ。


「知りたいですか?今のままじゃ、駄目なんですかね」

硝子玉が俺を見た。
俺は黙って微笑み返す。


「シャワー借りるぞ」
煙草を灰皿に押し付けて、藤木さんが部屋を出て行った。


俺は藤木さんのなんなのか。
俺にもよく分からない。
分かることは、俺はこの関係が失われることを恐れている、ただそれだけだ。
なぜ恐れるのか。
俺にもよく、分からない。
ただ、肺の中の煙を、一息で吐き出した。










どうも私が書く藤木さんは究極のエゴイストになってしまいます。だって、原作の死に方がすごいエゴイスティックだしなぁ。
ちなみにうちの坂井は完全に藤木ラブのワンコです。
2006/11/18