サマーメランコリック







薄暗い事務所の中、宇野は一人、パイプを燻らしていた。唯一の秘書は定刻通り帰って行き、事務所には自分の他に誰もいなかった。


藤木が逝ったと聞いたのは昨夜遅くのことだ。電話をかけてきた酒井が、泣いた後なのだろうか、ひどく掠れた声でただ一言、「藤木さんが死にました」と言った。それに対して自分もただ一言、「そうか」とかえしただけだった。あの、子供の様な眼をした、かつて自分の横に居た男はどうしているのだろうか。そう思ったが言葉にはならなかった。
夜も明ける頃、ドクから改めて連絡が入った。あの男がどの様に逝ったのかを手短に話した後、警察の方でも時間をくうので、通夜は明日、葬儀は明後日以降になるだろうと言って電話は切られた。その電話の後そのまま事務所に向かい、一日仕事をし、今に至る。


上っていく煙をぼんやりと眼で追いながら、宇野は逝った男のことを考えていた。
間違いなく、死に近い男だった。初めて会った時からそれは感じていたし、逝ったと言われてもそれは信じがたいものではなかった。ただ、死に近い故に逆に遠くもあったように感じていたのも事実だ。特に、あの男につき従うようになってからは。


「鍵もかけないで不用心だな。私が泥棒だったらどうする気だ」
突然の静寂を破る声に視線を向けると、宇野は眉をひそめた。

「確かに不用心だったようだな。不法侵入者に押し入られてしまった」
憮然とした表情の宇野を気にもしない様子で、金魚好きの殺し屋はソファーに腰かけた。

「不法じゃないさ。お前に会いに来た」
「アポをとった記憶はないが」
「だから珈琲を出せとは言わんよ」
叶の悪びれもしない言いように宇野は溜息をついた。

「第一、ちゃんと入口で声をかけた。返事もなくて鍵が開いてるとなれば入るしかあるまい?鍵のかけ忘れなら留守番にでもなってやろうってな」
「いらん世話だ。だいたい何しに来た。無駄口叩きに来たなら早く出ていけ」
「藤木が死んだってな」
その言葉に、初めて宇野は叶と視線を合わせた。
「ドクから聞いたよ。まぁ、らしい死に方といえばらしいが、らしくないと言えばらしくないよな」
叶の眼を見つめたまま黙り込んでいる宇野を見つめかえしながら、叶は言った。

「結構気に入ってたんだがな、あいつのこと。まぁ、幕が降りる時だったってわけだ」
「それで俺になんの用だ」
眉間の皺を一層濃くして、宇野は叶を睨み付けた。

「逝った友の思い出を語り合いに来たんだよ。あいつはお前にとって、随分でかい存在だったみたいじゃないか」
軽口をたたくようなその語り口は、それでもその後ろにある闇を感じさせた。

「・・・何が言いたい?」
叶から眼を逸らすと、宇野はパイプをゆっくりと吸って、その煙を肺から吐き出した。
薄暗い部屋に煙が立ち込める。
藤木はこの煙が苦手だった。
そんな考えが宇野の脳裏を過ぎっていった。


「簡単なことだ。あいつはお前が何よりも欲した、かつてはお前のものだった場所に入り込んだんだ。その奴が死んだ。お前がどうしてるのかと思ってな」
「戯言ばかり並べるな」

叶の言葉に宇野は椅子から立ち上がった。その表情は怒りか哀しみか、もっと別のなにかなのか。叶は表情を変えることもなく、黙ってソファーに座ったまま宇野を見上げた。

「よくもそんな戯言ばかり並べられるものだな。ここは俺の事務所だ。俺はお前が入る事を許可した覚えはない。不法侵入で訴えられたくなければ今すぐここを出て行け」
「お前は嬉しいんだろ、キドニー」
宇野の言葉を無視して叶は言葉を紡いだ。

「邪魔な奴がいなくなったから、お前の大事な奴の心を奪った奴が消えたから、お前は嬉しいんだろう?」

宇野はあまりの言葉に言うべき言葉を無くしてただ叶の顔を見つめた。
その顔はどこまでも冷静で。
一瞬の後、宇野の顔にあからさまな侮蔑の色が浮かんだ。

「・・・ろくな奴だとは思っていなかったがこれ程までだったとはな。二度は言わん。出て行って二度と顔を見せるな」
「しかし真実だよ」
叶は静かに言った。いつもの様な軽口の様相はもはやない。

「そしてお前はこうも思っている。むしろ奴は死ぬことで永遠にお前の大事な奴の心を手に入れたんじゃないだろうか、ってね。死んだ奴にはどうしたって勝てっこない。奴が生きていたら勝てたかもしれない試合なのに、奴が死んだせいで永遠に勝てるチャンスがなくなった」
次の瞬間、宇野が叶に撲りがかった。叶は冷静にそれを流し、宇野の両腕を掴む。
「離せ!」

宇野が腕を振り払おうとするも、力で叶に適うはずもなく、ただ睨み付けるしかなかった。

「何を怒る?全て真実のはずだ。お前のことを誰よりも知っている俺が言うんだ、間違いない」
そして叶は宇野が言葉を発する前に強く引き寄せると、その細身で長身な躯を抱き締めた。


「だから俺は知ってる。さっき俺が言ったことは全部真実で、だからお前は一番自分が本当は言いたいことを、罪悪感に駆られて自分にさえ口にすることができないんだ」
叶は宇野を抱き締める腕に力を込める。宇野は硬直したように身動きひとつしなかった。


「だから俺が代わりに教えてやる。お前は哀しいんだよ、キドニー。真っ直ぐな形じゃなかったけど、あいつはお前の友人だったんだろう?キドニー、お前は友人をなくして哀しいんだ。だから、哀しい時には哀しんだらいい。哀しむことに権利なんて最初からないんだから」


宇野は何も言わなかった。ただ、叶に抱き締められるままになっていた。

「・・・お前に俺の何が解る?」
しばしの沈黙の後、宇野が呟くように言った。

「知ったような口ばかりききやがって。お前に俺の何が解るって言うんだ」
「さあな。ただお前よりお前のことを知ってる」
「何を根拠にそんな戯言を言い切れる?」
「お前を愛している」
叶は宇野の耳元で囁いた。

「戯言を・・・」
宇野は叶の肩口に顔を埋めて力なく呟いた。その頭を抱え込むようにして、叶は宇野を抱き締めた。

「・・・しばらく、ここを借りてもいいか?」
叶に抱きすくめられたまま、小さく宇野が呟いた。その言葉に叶は小さく笑う。

「当然だ。俺はそのためにここに来たんだから」
物音一つしない部屋の中、机に置かれたままのパイプの微かな香りが漂っていた。


どれ位の時間そうしていただろう。宇野はひどく緩慢な動きでその身を叶から離した。その眼には涙はなかった。

「気は済んだか?」
叶の優しさの篭った言葉に宇野はぎこちなく頷く。

「通夜は明日らしいな。通夜と葬儀には一緒に行くか。奴はもう逝っちまったんだが、儀式ってやつは生きてる奴にはやっぱり必要なものだからな」


何事も幕引きが大事なんだよ。


そう言いながら叶は子供にするみたいに宇野の髪を軽くくしゃっとした。
宇野は俯いたまま何も言わない。

「どうした?」
叶が覗き込むと、そこにはひどく不安そうな、戸惑った顔があった。

「・・・お前がさっき言ってた言葉、真実だというならそれを証明してくれないか?」
言い難そうに宇野が呟いた。

「今夜は・・・一人で居たくない」
一瞬の沈黙の後、宇野は再度引き寄せられ、その腕の中に抱きすくめられた。

「お前の望むままに」
そのからかうような口調は、けれど暖かかった。

「どうする?いつもみたいにお前の家に行くか?」
叶の言葉に宇野は微かに首を振った。
「今ここでお前を望んでは駄目か?」


叶の眼が一瞬、驚いたように開かれたが、次の瞬間、その顔は満面の笑みにとってかわられた。

「お前の望むままに」
そう言うと叶は微かに開かれた、その冷たい唇に己のそれを重ねた。


見た目よりも柔らかいその唇をゆっくりと舌で舐めると、微かに開かれたその間にそっと舌を差し入れる。歯列と上顎をなぞると宇野の躯が微かに緊張するのが解った。
その躯をきつく抱き締めたまま、口腔を貧ると、戸惑いがちに舌が絡められる。

「・・・んっ」
微かに艶を含んだ声が宇野の喉から洩れた。叶はその声さえも逃がさないように深く深く口付けた。
ぴちゃぴちゃという卑猥な水音だけが薄暗い部屋に響き、それが余計に二人の欲情を高める。

「・・・は、ぁっ・・」
長い口付けから解放された時には、宇野の躯は明らかに熱をもっていた。ともすれば崩れ落ちそうになるその躯を叶が支える。
そのまま宇野の上着を脱がせるとソファーへと放り投げた。その首元に宇野がしがみつく。その様に叶は低く笑うと自身の上着も脱ぎ捨てる。
噛み付く様に喉元に口付けると宇野は首を大きく反らしてそれに応えた。叶は口付けたまま、宇野の首元を拘束するネクタイを一気に引き抜く。
口付けを落とし、右手だけで器用に釦を外しながら左手で臀部を揉みしだくと、密着していた宇野自身がより熱をもつのが感じられた。

「綺麗だな、お前の躯は」
完全に開かれた胸元に無数の口付けを落としながら、叶はうっそりと微笑んだ。

「・・・戯言、を!」
洩れる喘ぎ声を堪えながら、宇野がかえす。宇野の躯には事故の傷痕が無数に刻まれている。その傷痕を丁寧に舌で愛撫しながら、また叶は低く笑った。

「俺の言うことはいつも真実だと言っただろう?お前以上にお前を知っているとも」
そう言いながら胸の飾りを舌で転がすと、たちまちそこは固くなった。

「・・!・・っは・・」
喘ぎ声を殺そうとしていた宇野の喉から耐え切れないように吐息が洩れた。のけ反った宇野の躯がマガホニーの机の縁にぶつかる。

「声は我慢しなくていいといつも言っているだろう?気持ち良いことをする時まで我慢をする必要などない」
そう言いながら叶は宇野の体勢をかえすと宇野に両手を机につかせ、後ろから抱きすくめた。
腕と背中に絡みつくシャツをたぐりながら肩甲骨あたりを舐め上げると、宇野の躯がびくりと反応する。

「・・あ・・・はっ・・・・・・んっ」
宇野が感じるところに的確になされる愛撫に、もはや耐え切れなくなったのか、次第に喘ぎ声が大きくなる。それに満足したように叶は微笑むと、右手を宇野の前にやり、ベルトを外して下着ごとズボンをずり落とすと、すっかり熱をもった宇野自身を直接掴んだ。宇野の喉からさらなる嬌声が上がる。

「すぐヨクしてやるから」
背中に口付けを落としながら右手の指に丹念に宇野自身の先走りを塗り付けると、叶は宇野の腰を引き寄せ、その蕾に指を差し入れた。

「っ!・・・はっ・・・」
異物を入れる構造にはなっていないそこに指が侵入するその行為に、宇野は苦痛の声を上げた。その行為は何度繰り返しても慣れる事はない。
叶はその躯が苦痛に支配されないよう、その熱が去ってしまわぬよう、左手で胸の飾りを弄びながら、丁寧に背中を舌で愛撫していく。それと共に指の律動を繰り返すと、頑なだったそこが、少しづつ異物を受け入れる状態になっていく。
くちゅくちゅと卑猥な音を立ててそこが拡がるにつれて、苦痛の声が明らかに艶を帯びたものへと変化するのが解った。

「かのっ・・・も・・・う・・・」
差し込まれる指が二本に増えたころ、宇野が懇願するように喘いだ。

「ああ、俺ももう、限界だ」
そう言うと叶は指を引き抜くと、猛る己自身をその蕾にあてがった。

「ひっ・・ん・・あっ・・・」
指とは較べものにならないその異物感に、宇野は一瞬、血の気が引くのを感じた。しかし先に慣らされていたそこは、驚く程すんなりと、叶を最奥まで受け入れていく。
一度完全に挿れてしまうと、叶はふっと息を吐いた。宇野が慣れるまで、丁寧に首元に口付けていく。
宇野の中はひどく熱く、叶は理性が溶かされていくのを感じた。

「・・・動くぞ?」
叶の言葉に、荒い息の中、宇野が微かに頷くのが解った。

「あっ・・・はっ・・・・う、んっ・・」
叶の動きに合わせて、とうの昔に抑えることを諦めたであろう、宇野の喘ぎ声が響いた。
叶は宇野の顎を掴んで後ろを向かせると、深く口付けた。宇野もその無理な体勢の中、必死に舌を絡める。

「愛してるよ、キドニー」
掠れた声で叶は宇野の耳元、熱っぽく囁いた。

「愛してる。誰よりお前を、愛している」
叶の動きが更に烈しくなる。左手の中にある、宇野自身が、もう限界近くまで張り詰めているのが解る。

「一緒に、イこう」
そう 囁くと叶は宇野のイイトコロを衝いた。

「あっ・・・っ!」
宇野が大きくのけ反る。
左手の中に宇野が白濁とした液を吐き出すのを感じながら、叶は宇野の中にその欲を注ぎ込んだ。




けだるい空気の中、叶はソファーに寝そべっていた。その上に、叶に後ろから抱きすくめられる形で宇野が乗っかっていた。 事後の物憂い空気の中、時折宇野から吐き出されるパイプの香りが辺りに充満していた。

「今からどうする?」
叶は宇野の髪を弄びながら呟いた。

「このまま事務所にお泊りってわけにもいかないだろう?」
叶の言葉に宇野はゆっくり煙を吐き出した。

「うちに金魚を見に来ないか?心を和ませるにはもってこいだ」
その言葉に宇野は喉の奥で笑う。

「随分陳腐な誘い文句だな」
「そりゃあ、本命相手となると陳腐な言葉になるさ。必死だからな」
「酔狂な奴だ」
「かまわんさ」
叶は優しく宇野の髪に口付けた。

「今日は一緒に金魚を見よう。そして、明日は一緒に逝った友を見送りに行こう」
「・・・そうだな」
そう呟くと、宇野は肺に残っていた煙をそっと吐き出した。