マタアイマショウ







眠れずに、アッシュは1人、ベッドの上で寝返りをうった。少しでも躰を休めなければと思うのに、頭の芯が冴え切っていて、どうしても眠気がこない。実際のところ、眠れるはずなどなかった。


明日いよいよ、エルドラントに突入する。ここまで随分と遠回りをしたようにも思うし、一気に駆け抜けてきたようにも思える。
明日、自分は死ぬのだろう。
それは動かしがたい事実だった。この躰がいつまでもつのかは分からないが、そもそもエルドラントから生きて戻れる可能性など、夢見る方が馬鹿げている。むしろ無事に突入できるのかさえ、確かではないのだ。そこは必ず突入してみせると言った、ギンジの言葉を信じるしかなかった。






さっき、アッシュにとっては最後の夕食をとっている時のことだった。ルークの言葉に神経を逆撫でされ、イライラしながら半ば八つ当たり気味に、「突入の覚悟はできているのか?」と聞いたアッシュに、ギンジは、恐ろしく真剣味のない笑顔で「大丈夫ですよ、心配ないです」と返したのだ。
カッとなり、「分かってんのか!?死ぬかもしれないんだぞ!!」と叫ぶと、ギンジは変わらない笑顔で、しかしひどく真剣な口調で言い切った。
「着く前にアッシュさんを死なせるなんてこと、絶対にないですから」と。
「絶対に突入を成功させる」と言ったその言葉は、ひどく穏やかなものであったのに、アッシュにそれ以上の言葉を続けさせない何かがあった。






暗闇の中、再度寝返りをうつ。安っぽいベッドがぎしりと音を立てた。
言葉と共に、真剣な眼差しと柔らかい笑顔が頭に蘇り、離れなくなる。何故今になって、ギンジのことがこんなにも頭から離れないのだろう。
アッシュはぼんやりと暗闇の中の天井を見つめた。
なんでこんな時にとも思うし、こんな時だからかとも思う。
明日の今頃には、きっと自分はこの世に居ない。それは確かなことだ。そして、そうなる前に目的を達せられる保証もない。ただ犬死をしに行くだけなのかもしれない。それを思うと、先に広がる暗闇を思うと、言葉にならないほどの恐怖を感じるはずなのに、何故自分がと、目には見えない何かへの怒りで胸がざわめくはずなのに、あの顔を思い出すだけで心が凪いでいく気がするのだ。
それはひどく不思議なことだった。
この心が安らぐ時など、とっくに奪われてしまったと思っていた。現に、ついさっきまで、レプリカの言葉に惑わされ、揺らぎざわめいていたというのに。


一体、いつからそうなったのだろう。
半ば強引にこの危険な旅に同行させた。世界を効率良く回るには翼がいる、それだけの理由からだった。その翼に守られ、温もりを与えられていると気付いたのはいつだっただろう。


暗闇の中、掌を翳してみる。
奪われるだけ奪われて、ただ消えていくだけなのだと思っていた自分に、与えられた唯一の温もり。あの翼の温もりがあったからこそ、自分はこんなにも穏やかな気持ちで死にに行けるのだと思った。
翳した掌をゆっくりと握りしめ、そしてまた翳す。
大丈夫、自分には翼がある。きっと届く。きっと死ににいく意味を、掴むことができる。






その時、遠慮がちに扉をノックする音が聞こえた。小さく2回、そして躊躇したかのような間があって、再度2回。アッシュは素早く身を起こすと、サイドランプに明かりを点け、扉を開けた。
はたして、そこには銀髪で長身の青年が、困ったような顔で俯いていた。


「あの、起こしちゃいました?」
「いや。俺も寝付けなかったところだ」
「おいらもなんか眠れなくて・・・・」
やっぱ緊張しちゃってるんですかねと、誤魔化すように苦笑したギンジに指でベッド傍の椅子を指し示すと、遠慮しがちに扉を閉め、そこに腰を下ろした。アッシュはベッドサイドに腰掛けると、薄暗い明かりに照らされたギンジの顔を見た。
困ったような笑顔を浮かべ、アッシュの方を向くでもなく俯いたままで黙っているギンジは、言うべき言葉を探しているようで、アッシュは黙って待つ。不思議と不快感を感じない、静かな、とても静かな沈黙だった。


「あの、」
意を決したようにギンジが顔を上げた。
「なんだ」
しかし、ギンジは「いえ・・・・」と俯いてしまう。
「なんだ、はっきり言え」
「いや、あのですね・・・・・・・・あの、アッシュさんが寝るまでここにいていいですか?」
「は?」
予想もしていなかった言葉に、アッシュはぽかんとしてしまった。よくギンジはアッシュの予想外のところから話をするが、毎度のこととは言え、どうしても慣れない。


「――――――意味が分からないんだが?」
「いや、意味とかそういうんじゃなくてですね、そういうんじゃないんです、ただ、いさせてもらえたらなぁって」
訝しげに眉を顰めたアッシュに、慌てたようにギンジは手と頭を振った。


「なんか、おいら、やっぱ緊張しちゃってて、1人で居ても眠れそうにないし、アッシュさんも寝付けなかったりするかなと思って、誰か傍にいたら安心して眠れるかなって思って。だから、アッシュさんはおいらに気にせず寝てください」
「―――――普通、人が傍にいるとかえって寝難いんじゃないのか?」
「あ、え、いや―――――そうですね・・・・・・」


アッシュの言葉に、ギンジがしょんぼりしたように肩を落とし、立ち上がろうとした。そのあからさまに落胆した姿に、思わず笑いが零れる。
「いたいなら勝手にすればいい。俺は寝るぞ」
そう言うと、ギンジはぱっと顔を上げ、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた。邪気のない顔に、アッシュも苦笑を零す。どれだけこの笑顔に救われてきたか、ギンジはきっと知らないだろう。


サイドランプはつけたまま、アッシュは布団に潜り込むと、そのまま目を閉じた。眠れないことは分かっていた。けれど、先ほどよりずっと心が凪いでいるのが分かった。


「おやすみなさい。良い夢を」


穏やかな声が心地良かった。おはようございます。おやすみなさい。そんな他愛もない言葉を、ギンジは容易く口にする。遠い昔、もう戻れない過去にアッシュも使っていた言葉だ。
おはよう。おやすみ。良い夢を。
ギンジが使うと、どうしてこんなにも心地良いのだろう。自分にも穏やかな明日が来ることを、そっと夢見てしまいたくなる。








ギンジはアッシュの天使です(まて
2007/06/25